Linear ベストエッセイセレクション
宇宙は仕組みである
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大きな宇宙と小さな宇宙
 2023年度のノーベル物理学賞は 「アト(100京分の1)秒」 というごく短い時間だけ光るレーザーの研究に貢献した欧米の大学の研究者3人が受賞した。 レーザーをカメラのフラッシュのように使うことで、物質中を素早く動き回る電子などを観察できるようになり、「アト秒科学」 への道を開いた。
 また2023年度のノーベル化学賞は 「ナノ(ナノは10億分の1)メートル」 サイズの微細な半導体結晶である 「量子ドット」 と呼ばれる極めて微細な結晶を発見したアメリカの大学の研究者など3人が受賞した。 量子ドットは光や電気で刺激すると発光する。 光の色は粒子の大きさや形状、組成によって変わるため、うまく調整すれば、鮮明な色を出すディスプレーなどに応用できる。
 いずれも 「ミクロ宇宙(小さな宇宙)」 の物質の胎動をあきらかにしたことによる受賞である。 今までの受賞の多くは、「マクロ宇宙(大きな宇宙)」 の物質の胎動をあきらかにしたことによる受賞であった。
 私は構築した 「ペアポール宇宙モデル」 の末尾で、宇宙の実相を以下のように総括した。
 望遠鏡で眺めた環状連鎖ウェーブコイルが群を成して散在する宇宙(大きな宇宙)の風景は、池の水を顕微鏡で覗いた時に見える宇宙(小さな宇宙)の風景でもある。 大宇宙と小宇宙の区別はどこにもな く、細部は全体であり、全体は細部である。 つまり、宇宙には大きさはなく、構造のみが存在するのである。 我々自身が一杯のコップの水の中の宇宙に存在しているのか、池の水の中の宇宙に存在しているのか、はたまた大海の水の中の宇宙に存在しているのか、特定することは永遠に不可能である。 あれよりこれが大きいとか、小さいとか、遠いとか、近いとかの 「サイズの概念」 は我々人間が生活上の必要性から創った概念であり、宇宙の概念としては適用できない。 この人間が創ったサイズの概念が 「宇宙の果て問題」 を発生させたのである。 つまり、宇宙の果てはどうなっているのかという問いである。 この問いを解いた人は未だいない。 それは大きさという概念をもってして考えるからであり、この概念を捨て去れば、問題は難なく解ける。 つまり、宇宙とは 「仕組みという概念」 であり、「大きさという概念」 ではない。 大きさという概念がなきところに、宇宙の果という概念はもとから存在しないのである。 この仕組みこそが宇宙の構造でありメカニズムである。 この宇宙の仕組みがなぜにこのようなのかは、もはや神のみぞ知るところである。
 2023年度のノーベル物理学賞とノーベル化学賞の様相は、「宇宙は仕組みであって、大きさにあらず」 という私が描いたこの世の実相を、図らずも如実に物語っているのである。
連結する宇宙と重層する宇宙
 哲学者ニーチェが唱えた 「永遠回帰の構造」 とは 「今の今である現在を起点として、未来に向かうと過去に至り、その過去から再び今の今という現在に回帰する」 という過去・現在・未来が円環状に 「連結する宇宙」 である。
 他方。 私が提示する 「線形時間」 を廃棄することで行き着いた 「シンプルな宇宙の構造」 とは 「今の今である現在に過去と未来が含まれている」 という過去・現在・未来が階層状に 「重層する宇宙」 である。
 「永遠回帰の構造」 も 「シンプルな宇宙の構造」 も中核を成すのは 「今の今」 という瞬間としての 「現在」 である。 「存在と時間」 を著したドイツの哲学者ハイデッガーは 「永遠回帰説」 に寄せて 「永遠は瞬間にあり」 と付言した。 ニーチェはその永遠を 「過去と未来が連結する今の今としての現在」 に見いだし、私はその永遠を 「過去と未来が重層する今の今としての現在」 に見いだしたに過ぎない。
 私が追求した宇宙構造が別の道をたどって、ニーチェ思想に似た構造に至ったことは、不可思議な共時的相似性を感じるが、それは 「時間を描く西欧的な視点」 と 「空間を描く東洋的な視点」 の違いからくるものであって、本質は何ら変わるものではない。
過去・現在・未来〜とある街角にて
 彼は若かりし日に住んでいた街を50年ぶりに訪れた。 街並みは大きくは変わっていなかったが、その街角のどこを捜しても杳として、ともに生きた 「友がら」 や 「顔なじみ」 の姿を見つけることができなかった。 そう、かってあった 「あの世界 (過去)」 は失われてしまったのである。 思いは、もう 「その先 (未来)」 へは往かなかった。 路傍に立ち尽くした彼のまわりを碧空に架かった太陽が明るく照らしている。 さて、「今どき (現在)」 は何時であろうか? 何かいぶかしかった。

2023.10.30


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