望遠鏡で眺めた環状連鎖ウェーブコイルが群を成して散在する宇宙(大きな宇宙)の風景は、池の水を顕微鏡で覗いた時に見える宇宙(小さな宇宙)の風景でもある。 大宇宙と小宇宙の区別はどこにもな く、細部は全体であり、全体は細部である。 つまり、宇宙には大きさはなく、構造のみが存在するのである。 我々自身が一杯のコップの水の中の宇宙に存在しているのか、池の水の中の宇宙に存在しているのか、はたまた大海の水の中の宇宙に存在しているのか、特定することは永遠に不可能である。 あれよりこれが大きいとか、小さいとか、遠いとか、近いとかの 「サイズの概念」 は我々人間が生活上の必要性から創った概念であり、宇宙の概念としては適用できない。 この人間が創ったサイズの概念が 「宇宙の果て問題」 を発生させたのである。 つまり、宇宙の果てはどうなっているのかという問いである。 この問いを解いた人は未だいない。 それは大きさという概念をもってして考えるからであり、この概念を捨て去れば、問題は難なく解ける。 つまり、宇宙とは 「仕組みという概念」 であり、「大きさという概念」 ではない。 大きさという概念がなきところに、宇宙の果という概念はもとから存在しないのである。 この仕組みこそが宇宙の構造でありメカニズムである。 この宇宙の仕組みがなぜにこのようなのかは、もはや神のみぞ知るところである。
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