Linear ベストエッセイセレクション
知のワンダーランド
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知のワンダーランドは何処に
 情報化時代となって物質で構成された現象世界である 「外なる世界(遠くの世界)」 はコンピュータ技術で構築された情報ネットワークであらゆる情報を瞬時に知ることができるようになった。 「知のワンダーランド」 はもはやそこには存在しない。 今や知のワンダーランドは 「内なる世界(近くの世界)」 に存在するのである。 そこには情報ネットワークの欠片(かけら)さえも見あたらない。 あるのは手つかずの空白の原野だけである。 状況は童話 「青い鳥」 の帰結のごとくであって、幸せの青い鳥は自らの窓辺にいたのである。
 以下の記載は 第1599回 「世界は自分の中に」 からの抜粋である。
 狭くなった 「球形の荒野」 であっても 「自由な世界」 は存在する。 多彩な芸域をもつ俳優、ディーン・フジオカは、福島県出身。 高校卒業後、米シアトルのカレッジに留学、卒業後、アジアの国々をめぐり、香港、台湾などでさまざまな経験を積む。 NHK連続テレビ小説 「あさが来た」 の五代友厚役でブレイクしたのを契機に拠点を日本に移し、人気俳優として現在活躍中である。 先日のこと。 その彼が近況を聞くインタビューに答えて現在の心境を 「世界は自分の中にある」 と語っていることを知った。 若い頃の彼は世界は狭い日本を脱した外国にあると考えていたのであるが、最近はその世界が 「自らの内にある」 と思えるようになったというのだ。 「灯台もと暗し」 の喩えのごとく、目指すべきは、彼方に位置する 「遠い世界(外なる世界)」 ではなく、足下に位置する 「近い世界(内なる世界)」 であったのである。 自らの内にある世界に目覚めたディーン・フジオカは、その内なる世界をより美しく充実させることで、今後ますます人生のさらなる高みに向かって歩を進めていくに違いない。 (2022.03.01)
 目指す世界は自らの外に広がる 「外なる世界(遠くの世界)」 ではなく、自らの内に広がる 「内なる世界(近くの世界)」 である。 ディーン・フジオカもまた長い彷徨の旅の果てでようやくにしてそのことに覚醒したのであろう。
知のワンダーランドとは何か
 外なる世界とは「物質で構成された現象世界」であり、内なる世界は「意識で構成された心象世界」である。 目指す世界が内なる世界であるならば、その世界は 「心象世界」 ということになる。 他方に 「永遠は瞬間にある」 から導かれた 「目的は瞬間にある」 という帰結がある。 2つの帰結を合成すれば目指す世界は 「今の今という刹那に架かった心象世界」 ということになる。
 さらに心象世界を構成する意識を分析すると 「記憶意識」 と 「想像意識」 という2つの意識要素に分解される。 記憶意識は 「過去の心象」 に反映し、想像意識は 「未来の心象」 に反映する。 依って、内なる世界に存在するとした 「知のワンダーランド」 は今の今という 「刹那に架かった過去と未来の2つの心象世界」 から構成されていることになる。
 これでは何を言っているのか意味不明であろう。 そこで以下2つのエピソードから構成された断章を用意した。 理解を推し進める手がかりになってくれれば幸いである。
エピソード(1)
 以下の記載は1974年に奈良斑鳩の 「法輪寺」 を訪れたときに書いたものである。
 法隆寺の集落の中を通る小路をぬけると畑中の道となる。 収穫を終えた田畑はやわらかな冬の陽をあびて肩の荷をおろしたようにゆったりと横たわっている。 道端を流れる小川は軽やかな音をたて遠くの雑木林の上には数羽の鳥が飛び交っている。 土手が高くなった所は灌漑用の溜池であろうか。 そこで道は大きな曲りとなり、それを曲がりきると土手でさえぎられていた視界がひらけ鄙びた土蔵を備えた数軒の集落の中に法輪寺の甍が顔を出していた。 すぐ隣ではテントシートで覆われて三重塔の再建工事が進められている。
 法輪寺は聖徳太子の皇子である山背大兄皇子が建立した寺といわれ、伽藍配置は法隆寺と同じで規模はその三分の二の大きさに設計されているという。 最大最古の三重塔として国宝指定されていた法輪寺の三重塔は太平洋戦争末期の1944年に雷にうたれて焼失してしまった。 戦後三十年を経て平和が訪れた日本となってようやく再建の運びとなったのである。 右手の小高い丘には法起寺の三重塔が望まれるが、かってこの斑鳩の里には斑鳩三塔と呼ばれた法隆寺の五重塔、法輪寺の三重塔、法起寺の三重塔が秀麗な姿をみせていたのである。 法輪寺の三重塔が再建されれば斑鳩三塔の風景もまた完成することになる。
 やがて法輪寺の門前にたどり着く。 堂宇の入り口は民家の玄関のようであった。 狭い廊下を奥に進み仏堂に入る。 端整な面立ちをした老婦人が鎮座して迎えてくれた。 拝観料を払うと微笑とともに頭をさげた。 コンクリート造りの仏堂の中はひんやりとした冷気で満ちている。 南を向いて一列に安置された仏像たちは軒から射し込んだ斜光をあびて張りつめた静寂の中で悠久な姿をとどめていた。
 それらの仏像の前をゆっくり奥に向かって進む。 ひとつの立像で足が止まった。 虚空蔵菩薩立像である。 面長でのっぺりとした表情になぜか親しみが感じられたのである。 何くわぬ顔をしたこの菩薩像は雨の日も風の日も雪の日も千数百年に渡って人間が為した悲喜劇をのこらず眺めてここに立ち尽くしていたのであろう。 大したものである。 思いに浸っていたそのとき、仏堂の甍の上を突如として 「一陣の風」 が吹きぬけ、静まりかえっていた堂内にその鳴動が響いた。
 仏堂を辞するにあたって老婦人に感謝をのべると 「また来てください」 と変わらぬ表情で微笑んだ。 出口で立ち並ぶ仏像たちを振り返りながら彼らは幸福であると思った。 おそらく老婦人は若い頃からこの仏像たちと朝夕をともにして何ごとかを語らってきたのであろう。 それは今日だって同じことである。 そして私が去ったあともまた、その語らいはとめどなく続いていくにちがいない。
 帰路。 畑中の道から南方向を望むと大和三山(香具山、耳成山、畝傍山)が遠く霞の中にぼんやり確認することができた。 その三山に囲まれたところには我が敷島の大和のふるさと 「明日香(飛鳥)」 が横たわっているはずであった。
(※)虚空蔵菩薩立像(重要文化財)飛鳥時代 木造 像高:175.4cm
エピソード(2)
 以下の記載は2009年に信濃諏訪の 「万治の石仏」 を訪れたときに書いたものである。
万治の石仏 / 長野県下諏訪町
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 諏訪大社下社春宮近くの畑中にある丸い自然石の上に仏頭が乗った珍奇な石仏である。 万治3年(1660年)に作られたので 「万治の石仏」 とよばれている。 さかのぼる400年ほど前である。 近年、この石仏の首が伸びるということで話題となり、テレビのワイドショー番組にとりあげられ、多くの人の知るところとなったが、事の始めは、縄文土器の芸術性を喚起した岡本太郎が1974年(昭和49年)にここを訪れ、「こんなおもしろいもの見たことがない」 と絶賛してからとのことである。 伝説によれば、諏訪大社に石の鳥居を作ろうとして石工が大きな石にノミをいれたところ血を流したため、石に手足を彫り、頭をすげて阿弥陀如来像としたものだという。
 目立たぬ空間に何食わぬ顔をして飄々然と鎮座する様を眺めているうちに、遠い日に出逢った奈良斑鳩法輪寺の虚空蔵菩薩の面影が甦ってきた。 こちらはお堂に収まった木像であったが、名のごとく虚空蔵、即ち山川草木、森羅万象ことごとくの大宇宙を蔵してなお飄々とした風情で立っておられた。 その拝顔の折り、一人たたずむ堂内の静寂を破って 「一陣の風」 が甍を越えて吹き抜けていったことを記憶している。 あれから35年の歳月が経過したことになる。 そして今日、山深い信州の空の下、時空を渡った 「その一陣の風」 が再びかかる尊顔にめぐり逢わせてくれたのである。
 石仏がある位置と下社春宮の境内の間には清流が流れているのだが、先ほどから蕭条とした横笛の音がその方角から聞こえている。 宮人が社事に備えて練習しているのであろうか ・・ 刻はまどろんだような夏陽に照らされた昼下がりであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 エピソード(1)で出逢った 「虚空蔵菩薩立像」 の記憶意識で構成された過去の心象世界は想像意識で構成された未来の心象世界であるエピソード(2)で出逢った 「万治の石仏」 に繋がっている。 刹那に架かった過去と未来の狭間で突如として吹いた 「一陣の風」 が繋げたのである。 そこに時間の経過は存在しない。 また私が奈良斑鳩の法輪寺で虚空蔵菩薩立像に出逢った1974年にくしくも岡本太郎は信濃諏訪で万治の石仏に出逢っている。 その後35年して今度は私が信濃諏訪で万治の石仏に出逢うことになるが、たとえ私と岡本太郎が入れ代わったとしても何ら違和感はない。そこには空間の隔たりさえもまた存在しないかのようである。 内なる世界に存在する 「知のワンダーランド」 とはこのような世界である。 その構造はかって検討した 「時空のトンネル(ワームホール)」 のようであり、時間も空間もなく過去と未来が含まれた現在だけしかない 「シンプルな宇宙」 のようでもある。

2022.08.31


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