Linear ベストエッセイセレクション
近代文明の宿痾
Turn

我々が見失ったものとは
 「混乱の臨界点」 では、混沌とした現代社会の様相を物理学の 「エントロピの増大法則」 から描いた。 そこでは、急激な混乱拡大の主なる原因が情報化社会における情報技術の進歩発展に依拠するとした。 ここでは、その 「情報化社会」 を生み出した 「近代文明の宿痾」 としてのバチルス(社会に害をなすもの)を見極め 「さまざまな視点」 からのプロットとともに反芻して 「我々が見失ったもの」 が何であったのかを明らかにしようと思う。
ゲーテの視点〜第619回 科学的合理主義の終着点 (2005.11.24)
 イギリスの偉大なる科学者、ニュートン(1642〜1727年)がかの有名な 「プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」 を著して以降、世界は一瞬にして 「科学的合理主義万能の価値観」 に没頭、その後300年間の邁進を経て、現在我々が目にする科学文明社会を現出させるに至った。 だが 「科学的合理主義」 は決して万能なのではなく、自ずとした限界がある。 人類は今、科学をもって、すべてが計算可能であり、そのすべてを自己意志によって自由に制御できるかのごとく考えるにあるが、それは妄想である。 科学的合理主義万能の喧噪が出発した当時、すでにその科学的合理主義の行き着く先に、大きな危惧を抱き、一人警鐘を鳴らして立ち向かった人物がいたことを記しておきたい。
 その人物とはドイツの文豪、ゲーテ(1749〜1832年)である。 彼はまた、いかなる警鐘をもってしても、技術と科学の結合による世界の進歩的な改造が、阻止し難いことも同時に知っていた。 彼はそのことを、彼の最後の小説 「遍歴時代」 の中で、憂慮とともに次のように語っている。
 「増大する機械文明が私を悩ませ、不安にします。 それは雷雨のように、おもむろに近づいて来ます。 でも、それはすでに方向を定めました。 やがて到来して襲いかかることでありましょう」
 また友人への手紙の中では
 「富と速さは、世界が称賛し、誰しもが目指しているものです。 鉄道、急行郵便馬車、蒸気船、そして交通のありとあらゆる軽妙な手段は、開花した世界が能力以上の力を出し、不必要なまでに自己を啓発し、そのためかえって凡庸さに陥るために求めているものであります。 そもそも現在は、すぐれた頭脳、理解の早い実用的な人間のための世紀であり、彼らは、たとえみずからは最高度の天分を有さずとも、ある程度の器用さを身につけているだけで衆に抜きんでるものと思っているのです」
 その後、ゲーテの思想を研究したオーストリア生まれ(1911年)の文芸評論家、エーリヒ・ヘラーは、科学的合理主義の行き着く先を 「技術的進歩とは、地獄をもっと快適な居住空間にしようとする絶望的な試み以外のほとんど何物でもありません」 と簡潔、かつ直裁に語っている。
夏目漱石の視点〜第636回 漱石またしかり (2005.11.29)
 ドイツの文豪、ゲーテ(1749〜1832年)が抱いた科学的合理主義への危惧を予見した人物は我が日本国にもいた。 明治の文豪、夏目漱石(1867〜 1916年)である。 以下は彼の名作 「行人」 の記述である。
 兄さんは書物を読んでも、理窟を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。 何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。 「自分のしている事が、自分の目的になっていないほど苦しい事はない」 と兄さんは云います。 「目的でなくっても方便になれば好いじゃないか」 と私が云います。 「それは結構である。 ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」 と兄さんが答えます。
 兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。 ただ不安なのです。 したがってじっとしていられないのです。 兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。 起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。 歩くとただ歩いていられないから走けると云います。 すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。 止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。 その極端を想像すると恐ろしいと云います。 冷汗が出るように恐ろしいと云います。 怖くて怖くてたまらないと云います。
 私は兄さんの説明を聞いて、驚きました。 しかしそういう種類の不安を、生れてからまだ一度も経験した事のない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。 私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。 私はしばらく考えました。 考えているうちに、人間の運命というものが朧気ながら眼の前に浮かんで来ました。 私は兄さんのために好い慰藉を見出したと思いました。 「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないと覚ればそれまでじゃないか。 つまりそう流転して行くのが我々の運命なんだから」 私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生温るいものでありました。 鋭い兄さんの眼から出る軽侮の一瞥と共に葬られなければなりませんでした。 兄さんはこう云うのです。
 「人間の不安は科学の発展から来る。 進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。 徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。 どこまで伴れて行かれるか分らない。 実に恐ろしい」、「そりゃ恐ろしい」 と私も云いました。 兄さんは笑いました。 「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支えないという意味だろう。 実際恐ろしいんじゃないだろう。 つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。 僕のは違う。 僕のは心臓の恐ろしさだ。 脈を打つ活きた恐ろしさだ」
 私は兄さんの言葉に一毫も虚偽の分子の交っていない事を保証します。 しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞めて見る事はとてもできません。 「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」 と私は云いました。 「必要がなくても事実がある」 と兄さんは答えました。 その上下のような事も云いました。
 「人間全体が幾世紀かの後に到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。 一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めて云えば一カ月間乃至一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。 君は嘘かと思うかも知れないが、僕の生活のどこをどんな断片に切って見ても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。 要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している」
 「それはいけない。 もっと気を楽にしなくっちゃ」
 「いけないぐらいは自分にも好く解っている」
 私は兄さんの前で黙って煙草を吹かしていました。 私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出して上げたいと念じました。 私はすべてその他の事を忘れました。 今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然 「君の方が僕より偉い」 と云いました。 私は思想の上において、兄さんこそ私に優れていると感じている際でしたから、この賛辞に対して嬉しいともありがたいとも思う気は起りませんでした。 私はやはり黙って煙草を吹かしていました。 兄さんはだんだん落ちついて来ました。 それから二人とも一つ蚊帳に這入って寝ました。
 現代人の不安を100年前にして予測し得た漱石の慧眼もまたしかり、ゲーテに遅れをとるものではない。
ニーチェの視点〜第636回 末人 (2006.03.01)
 哲学者ニーチェ(1844〜1900年)がその著 「ツァラトゥストラはかく語りき」 の中で未来に登場するであろう 「末人(まつじん)」 について次のように語っている。
最低の軽蔑について話そう。
おしまいの人、末人のことを。
「愛って何? 創造って何? あこがれって何?」 こう末人は問い、目をまばたかせる。
そのとき大地は小さくなっている。 その上を末人が飛び跳ねる。
末人は全てのものを小さくする。
この種族はのみのように根絶できない。
末人は一番長く生きる。
「われわれは幸福を作りだした」 こう末人たちは言い、目をまばたかせる。
彼らは生き難い土地を去る。 温かさが必要だから。
彼らは隣人を愛しており、隣人に身体を擦りつける。 温かさが必要だから。
病になること、不信を抱くことは、彼らにとっては悪となる。
彼らはいつも警戒し、ゆっくりと歩く。 なぜなら石にけつまずくもの、人間関係で摩擦を起こすものは、彼らにとって馬鹿者だから!
彼らはほんの少しの毒をときどき飲む。 それで気持ちの良い夢を見る為に。
そして最後には多くの毒を。 そして気持ち良くなって死んでゆく。
彼らもやはり働く。 なぜかといえば労働は慰みだから。
しかし慰みが身体に障ることのないよう彼らは気を付ける。
彼らは貧しくもなく、富んでもいない。 どちらにしても煩わしいのだから。
誰がいまさら人々を統治しようと思うだろう?
誰がいまさら他人に服従しようと思うだろう?
どちらにしても煩わしいだけだ。
既に牧人さえなく、畜群だけ! 飼い主のいない、ひとつの蓄群!
誰もが平等を欲し、誰もが平等であることを望んでいる。
みなと考え方が違う者は、自ら精神病院へ向かってゆく。
「昔の世の中は狂っていた」 と、この洗練されたおしまいの人たちは言い、目をまばたかせる。
彼らは賢く、世の中に起きる物事をなんでも知っている。
そして、何もかもが彼らの嘲笑の種となる。
彼らもやはり喧嘩はするものの、じきに和解する。
さもないと胃腸を壊す恐れがあるのだから。
彼らも小さな昼の喜び、小さな夜の喜びを持っている。
しかし、彼らは常に健康を尊重する。
「われわれは幸福を作りだした」 こう末人たちは言い、目をまばたかせる。
三島由紀夫の視点〜第713回 三島由紀夫の予言 (2013.02.08)
 私の中の25年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。 私はほとんど 「生きた」 とはいえない。 鼻をつまみながら通りすぎたのだ。 25年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。 生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。 それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(社会に害をなすもの)である。
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。 おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。 政治も、経済も、社会も、文化ですら。 25年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。 これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。 このまま行ったら 「日本」 はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。 日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。 それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
 三島由紀夫(1925〜1970年)はこの随想を上梓した4ヶ月後の昭和45年11月25日、自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺を遂げた。 上記した文章はその直前、昭和45年7月7日、産経新聞夕刊に掲載された随想 「私の中の25年」、果たし得ていない約束、恐るべき戦後民主主義から採ったものである。 毀誉褒貶に富んだ作家ではあったが、日本の未来を見抜いたその慧眼はまさに本物であったことを実感する。
現代科学の視点〜第1089回 科学の終焉 (2017.09.01)
 科学は終焉したと言われる。 確かに科学の本道とされてきた重厚長大な物理学は量子論に関わる超ひも理論に至って頭打ちとなってその先に進まない。 代わって台頭してきたのは軽薄短小な複雑系やカオス理論等に関わる情報科学や、iPS細胞やゲノム編集等に関わる生物科学等々である。 これらの状況は単なる思考過程の変質というよりは経済的理由に根ざしているように観える。 ひとことで言えば 「お金にならない科学は探求しない」 ということである。 それは理念よりは実益が優先される現代の社会世相と歩調を同じくする。
 科学の探究は 「未知なるものへの挑戦」 であるからしてその中にお金になるか否かなどの処世の業が介入する余地は本来はないはずなのだが、現代の科学探究は 「すぐものになる未知なるもの」 という但し書きが付箋されている。 ものになるとは、つまりは 「お金になる」 という経済的成果のことに他ならない。 仮にこの付箋を度外視して未知なるものに挑んだとしても研究費を出す企業や団体はほとんどないであろう。 それは国の政策においてさえ50歩100歩である。 国に利益をもたらさない研究は税金の無駄使いというわけである。 つまり、科学は終焉したわけではない。 人々の求めるものが永遠の真理から目先の実益に変わっただけである。
 勿論のこと永遠の真理を夢見て日夜の研鑽を積み上げている科学者もいないわけではないが、その数は今や絶滅危惧種に指定されている 「イリオモテヤマネコ」 や 「クニマス」 に匹敵するほどに希少ではあるまいか? だがそれより問題なのは人々の憧れから永遠の真理が消失してしまうことにある。 これが未来に何を将来するかはよくよく考えてみなければならない。

 以下蛇足ながら、日本の現状について書き記す。 もって 「他山の石」 となれば幸いである。
 「失われた10年」 は今や 30年 になろうとしている。 失われた10年とは戦後急成長してきた日本経済がバブルと呼ばれた未曾有にふくれあがった 「豊饒の泡」 がはじけた1990年頃からの10年間に渡る 「社会の凋落と低迷」 を指した言葉であった。 だがその停滞はその後も続き、30年余に及ぼうとする現在もなを改善する兆しは見えてこない。 そして今 「失われた10年」 は 「失われた30年」 に改題されようとしているのである。
 ではいったい 「何が失われた」 というのであろうか? 簡単に言えば、戦後復興から始まったまれにみる成功の数々の上に築かれた経済的資産が失われてしまったということになろう。 その事態をさらに還元すれば、かくなる成功の基となった 「ビジネスモデル」 の有効期間が消滅してしまったと言うこともできる。 しかして、停滞の事態が変わらないという事実は 「消滅してしまった有効期間」 がまだ充分に残っていると 「信じて疑わない」 我々自身の意識が少しも変わっていないことを示している。

2022.07.07


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