Linear ベストエッセイセレクション
木枯らし紋次郎の風景
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時空の旅人
 ・・ 木枯し紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという。 十才の時に国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。 天涯孤独な紋次郎がなぜ無宿渡世の世界に入ったかは定かでない ・・・
 「木枯し紋次郎」 は作家、笹沢左保が創りだした人間像である。 だがその存在感は実在した人間ほどに現実的(リアル)である。1972年1月1日より放映されたテレビドラマでは、冒頭のフレーズが毎回エンディングで歩み去る紋次郎の後ろ姿に重ねてナレーションされていたものである。 ドラマのファンならずとも 「三日月村」 が紋次郎の出生地であることは誰もが知っていたほどである。 舞台は天保年間。 貧しい農家に生まれた紋次郎は生まれてすぐに 「間引き」 されそうになるところを姉のおみつの機転により助けられ 「間引かれ損ない」 として薄幸な子供時代を過ごしたとされる。
 ぼろぼろになった大きな妻折笠に薄汚れた道中合羽、ニヒルな表情に長い楊枝を咥えた風貌はこの男のものであって最後まで変わることはなかった。 劇中で紋次郎が口にする決め台詞 「あっしには関わりのないことでござんす」 は当時の流行語にもなった。 だがそうは言うものの紋次郎は決して非情な渡世人ではなく結局は深く関わってしまうのである。 それは彼流の照れ隠しのようなものであったのかもしれない。
 この作品で流行作家となった笹沢左保はその晩年において、紋次郎の出生地 「三日月村」 に似た 「三日月町」 が実在する佐賀県に移り住み、その地で執筆活動を続けた。 ちなみに筆名の 「左保」 は夫人の名前からとったものである。 笹沢左保は天涯孤独で生涯旅することを運命づけられた紋次郎の姿に自らの文学のテーマである 「人間の孤独と宿命」 を託して来た。 「人間は宿命によって生かされている」 という人生観を持つきっかけは22歳の時、山梨県山中での人妻との自殺未遂であったという。あらがいようのない大きな力に翻弄される人間の哀しみや孤独を描くという 「自らの原点」 は終世に渡って変わることはなかった。
 笹沢左保の死と呼応するように木枯し紋次郎もまた時空の彼方に去っていった。 寒風吹きすさぶ荒野の街道を急ぎ足で遠ざかっていく紋次郎の肩にはドラマの主題歌であった 「だれかが風の中で」 の上條恒彦の野太い歌声が響き続けどこまでも追伴していくかのようであった。 それはまた 「時空の旅人」 として生きた 「不朽の渡世人〜木枯し紋次郎」 の躍如たる風景でもあった。
 
だれかが風の中で / 作詞 : 和田夏十 作曲 : 小室等

どこかで だれかが
きっと待っていてくれる
くもは焼け 道は乾き
陽はいつまでも沈まない
こころはむかし死んだ
ほほえみには 会ったこともない
きのうなんか知らない
きょうは旅をひとり

けれどもどこかで
おまえは待っていてくれる
きっとおまえは
風の中で待っている

どこかで だれかが
きっと待っていてくれる
血は流れ 皮は裂ける
痛みは 生きているしるしだ
いくつ 峠をこえた
どこにもふるさとはない
泣くやつはだれだ
このうえ何がほしい

けれどもどこかで
おまえは待っていてくれる
きっとおまえは
風の中で待っている
 
 かくして時は過ぎ ・・ 木枯し紋次郎がたどったその後の末路を知るものはこの世には誰ひとりとしていなくなった。 私はその木枯し紋次郎の姿を 中山道 奈良井宿跡 の街並みの中に垣間見たことがある。
信州つれづれ紀行 第018回 / 奈良井宿 / 長野県塩尻市

2022.06.26


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