Linear ベストエッセイセレクション
ちあきなおみの風景
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冬隣(ふゆどなり)
 中高年世代に日本で最高の歌手は誰かと聞けば「美空ひばり」と答えるのが順当であろう。 だが 「ちあきなおみ」 と答える人も負けず劣らず多いことに驚かされる。 私もそのひとりであった。 「喝采」 で日本レコード大賞を受賞したことは知っていたが、皆が感じるほどには私の琴線に響いてこなかったのである。 だがその認識は以下の 「冬隣」 を聞いたことで、一挙に覆されてしまった。
冬隣(ふゆどなり) / 作詞 吉田旺 作曲 杉本眞人
(冬隣とは冬がすぐそこまで来たことを感じさせるような晩秋のたたずまいのこと)

あなたの真似して お湯割りの
焼酎のんでは むせてます
つよくもないのに やめろよと
叱りにおいでよ 来れるなら
地球の夜更けは 淋しいよ ・・・
そこからわたしが 見えますか
この世にわたしを 置いてった
あなたを怨んで 呑んでます

写真のあなたは 若いまま
きれいな笑顔が にくらしい
あれからわたしは 冬隣
微笑むことさえ 忘れそう
地球の夜更けは せつないよ ・・・
そこからわたしが 見えますか
見えたら今すぐ すぐにでも
わたしを迎えに きてほしい

地球の夜更けは 淋しいよ ・・・
そこからわたしが 見えますか
この世にわたしを 置いてった
あなたを怨んで 呑んでます
 「・・ 地球の夜更けは 淋しいよ そこからわたしが 見えますか この世にわたしを 置いてった あなたを怨んで 呑んでます ・・」 という歌詞は宇宙レベルの視点であって、演歌の範疇を遥かに超えていた。私はたちまちにしてそのフレーズが好きになってしまった。 その歌唱をつぶさに聞いているうちに 「ちあきなおみ」 という歌手が美空ひばりに匹敵するという世の評価が素直に受け入れられるようになったのである。
 気づけば 「冬隣」 の作詞者、吉田旺は、ちあきの代表曲となった 「喝采」 の作詞者でもあった。喝采はちあきの実体験を元にして作られた 「私小説歌謡」 として売り出された。ちあきがデビュー前から兄の様に慕っていた若手役者が岡山県浅口市鴨方町に住んでいてその彼が亡くなったという話を詞にしたというのだが、実際は作詞者の吉田が、そのちあきのエピソードを知ることなく自らの体験をもとに書いたものであって、その舞台は小倉駅で、北九州市若松区出身の吉田が東京へ行く際のものであった。それが偶然にも 「ちあきの体験」 と似ていたために、「私小説歌謡」 としてプロモートされたのだという。 結果は大成功。1972年度の日本レコード大賞を受賞。 ちあきをスターダムに押しあげる契機となったのである。
 その後、1978年に俳優であった郷^治と結婚する。 郷^治の兄は俳優の宍戸錠である。 結婚を潮に郷は俳優業を引退。ちあきの個人事務所を設立。郷が社長兼マネージャー・プロデューサーとなった。 他方、ちあきは 「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい」 として、しばらくの 「充電期間」 に入った。 以降は歌手としてのテレビ出演の機会は減っていったが、レコーディングはマイペースながらも精力的に行っていた。 郷は夫婦の生活の基盤として、広尾に純喫茶 「COREDO」 を開店。 郷がコーヒーを淹れる喫茶店は業界人の溜まり場となり、ちあきもまた充電期間中には店を手伝ったという。
 だが幸せだった生活は1992年9月、最愛の夫であった郷の急逝(享年55)で終焉をむかえる。 郷が荼毘に付される時、ちあきは柩にしがみつきながら 「私も一緒に焼いて」 と号泣したという。 数日後、ちあきは 「故人の強い希望により、皆様にはお知らせせずに身内だけで鎮かに送らせて頂きました。主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいます様、よろしくお願いします」 というコメントを書面で公表した。 これを最後に、ちあきは歌手業を含めた芸能活動を完全に停止してしまった。 以降、正式な引退宣言が出ないまま、今も尚、公の場には全く姿を現していない。 またマスメディアの取材にも一切応じておらず、未だに沈黙を守り続けている。
 郷の死から半年後に義兄の宍戸錠が開いた郷を偲ぶ会にさえ姿を見せず、宍戸によればその後は宍戸とも全く交流がなくなっているという。郷はちあきの実家である瀬川家に婿入りしており、ちあきの母が眠る瀬川家の墓にともに葬られている。ちあきはその墓のある東京都心の寺の近くにマンションを購入。今も尚。盆、彼岸、月命日には郷の墓参を欠かさないという。
 冒頭の 「冬隣」 は1988年3月発売のアルバムに収録された楽曲である。ちあきが背負ったこれらの人生遍歴を念頭に再び聞いてみると、宇宙の彼と地球の彼女との間に架け渡された 「二人の世界」 に立ち入ることができる者などこの世に誰ひとりとしていないことがわかる。 その壮絶な 「愛の世界」 こそが不世出の歌姫、ちあきなおみの歌唱力の何たるかを物語っているのである。 その世界はこれからも朽ちることなく宇宙の無限に架かって永久に輝き続けるにちがいない。 真の歌姫とは尽きない純心をもって、かくも一途に自らの操に向かって歌い続けることができる歌い手を言うのではあるまいか? そのことをちあきなおみは 「冬隣」 の歌唱をもって表現したかったのかもしれない。

2020.08.18

紅い花
 楽曲 「冬隣」 は1988年3月発売の曲であるが、楽曲 「紅い花」 が1991年10月発売の曲で、その翌年1992年に夫の郷^治と死別してから後は無期限の芸能活動休止中となっているため、この曲が最後のオリジナルシングルとなっていることを先日知った。
紅い花 / 作詞 松原史明 作曲 杉本眞人

昨日の夢を 追いかけて
今夜もひとり ざわめきに遊ぶ
昔の自分が なつかしくなり
酒をあおる
騒いで飲んで いるうちに
こんなにはやく 時は過ぎるのか
琥珀のグラスに 浮かんで消える
虹色の夢
紅い花
想いを込めて ささげた恋唄
あの日あの頃は 今どこに
いつか消えた 夢ひとつ

悩んだあとの 苦笑い
くやんでみても 時は戻らない
疲れた自分が 愛しくなって
酒にうたう
いつしか外は 雨の音
乾いた胸が 思い出に濡れて
灯りがチラチラ 歪んでうつる
あの日のように
紅い花
踏みにじられて 流れた恋唄
あの日あの頃は 今どこに
いつか消えた 影ひとつ

紅い花
暗闇の中 むなしい恋唄
あの日あの頃は 今どこに
今日も消える 夢ひとつ
今日も消える 夢ひとつ

 静謐な空間の中で彼女の吐息が静かに流れている。 そこには彼女が生きる日々がたゆたうとして漂っているかのようである。 今の今である刹那としての 「現在」 は彼女にとって 「過去と未来の置き所」 としてこれ以上ふさわしいところはないのである。 その世界は 「時は流れず」 の末尾に配した 「石の舟」 で描いた世界でもある。
石の舟
 以下の記載は2017年6月13日付け、日本経済新聞の文化欄、屋外彫刻 「記憶をつなぐ」 からの抜粋である。
 宇部市、常盤湖の畔に設置されているこの作品は、彫刻家、井田勝巳の出世作。 「第16回 現代日本彫刻展」 で大賞を受賞した。 作家は当時、高校で美術を教えながら夜はアトリエで制作に向き合う生活を送っていた。 花崗岩の玉石の上に据えられる六方石の巨大な舟。 上部には廃墟の街が彫られ、両側には担ぎ棒のような四角い石柱が嵌められる。 あるいはこれは石の棺か。 「明日が不安に感じるとき、失ってしまったはずの記憶が、優しく僕を包んでくれる」。 作家のこのコメントが示唆するものは ・・。 諸行無常。 失われた過去、変容しつつある現在、到来する未来。 その連続性と同一性を保証するものは記憶だ。 「あの世」 は失われた過去の棲家であると同時に我々の未来の棲家でもある。 月を 「あの世」 に見立てるならば、この作品を彼岸(過去・未来)と此岸(現在)を渡す舟(記憶)と見立てたくなる。 記憶のかたち。 石の舟は湖の畔で永遠の航海を続ける。
 失われた過去、変容しつつある現在、到来する未来。 その連続性と同一性を保証するものは 「記憶」 だとする記述は、まさに 「夢幻のごとく」 で論じた 「線形時間」 そのものであり、「此岸(現在)と彼岸(過去・未来)を行き来する永遠の石の舟の風景」 に図らずも相似している。

2022.01.20


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