Linear ベストエッセイセレクション
ファイヤアーベントの風景
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生きがいは皿洗い
 若き日、オペラ歌手と天文学者の両方になることを夢見ていたポール・ファイヤアーベント(1924〜1994年)は、科学誌ネイチャーで 「科学の敵ナンバーワン」 という異名をもって称されたオーストリア生まれの科学哲学者である。 ファイヤアーベントは 「午後は歌の練習にあて、夕方はステージに立ち、夜遅くに星を観測しようとしたんだ」 と当時を回想している。
 折しも第2次大戦が勃発。 18歳だったファイヤアーベントは士官学校を志願、3000人の兵士を率いてロシア戦線に赴く。 結果、背中を撃たれた彼は杖を頼りの生活となった。 徐々に歩く能力を回復した彼は、戦後、ウィーン大学で勉学を再開、専攻を物理から歴史に転向、飽きて物理学に戻り、再び飽きて、ようやく哲学に腰を落ち着かせた。 ファイヤアーベントは自分のことを、時として 「怠け者」、また時として 「大ぼら吹き」 と呼んだ。 論点における立場を問われると 「私に立場なんて無いさ、そもそも立場なんてものはねじできちんと止めておかなくちゃね」 とアフォリズムたっぷりに架空のねじ回しを目の前で回してみせた。
 主著 「方法への挑戦」 のなかでファイヤアーベントは科学が実験の積み重ねから仮説が導かれるのではなく、最初になんらかの仮説が頭の中にあって、それが理由で実験を行なうのだという科学哲学を主唱した。 彼の論調は常に小気味よく、そして笑いを誘った。 それは痛烈な風刺に満ちてはいたが独特な哀感が漂っていた。 その幾つかを抽出すると以下のようである。
  私の人生は偶然の産物であり、目標達成や主義主張の結果ではなかった。 私の知的な仕事は人生の取るに足らない側面を形成するにすぎない。 愛と個人的な理解のほうがはるかに重要なことだ。 客観性の追求に熱心な一流の知識人たちは、こうした個人的な要素を葬ってしまっている。 彼らは人類の解放者どころか犯罪者だ。
  アウシュビッツは 「いまだに私たちの中に蔓延している態度が尖鋭な形で現れたのだ」 と私は言いたい。 その態度は、産業民主主義国家の中におけるマイノリティーの処遇に現れている。 それは人道主義的視点の育成も含めて、ほとんどの場合、素晴らしい若者たちを特色がない独善的な教師たちのコピーへ変えてしまう教育の中にも現れている。 核の脅威や増え続ける一方の殺戮兵器の力と数、準備万端ととのって戦争をおっぱじめようと目論むいわゆる愛国者たちに比べれば、ホロコーストさえ小さく見えてくる始末だ。 それは自然や未開文明を破壊しておきながら、生きる意味を奪われた人々のことなど屁とも思わない態度に現れている。 巨大なうぬぼれに浸った知識人が、自分たちが人類に何が必要か正確に知っていると信じ込み、人々を自分たちの貧しい姿に似せて再創造しようとする執拗な努力にも。 自分たちの患者を恐怖心で恫喝し、彼らを障害者にしてさらに巨額の請求で虐げる、一部の医師の子供じみた誇大妄想にも。 計画的に動物たちを拷問にかけ、その苦痛を研究し、その残虐行為で学術賞を受賞する、多くのいわゆる真実の探求者らの思いやりの欠如にも現れている。 私の知る限り、アウシュビッツの手下どもと、これら 「人類の恩人たち」 の間に何の違いも存在しない。
 ファイヤアーベントは死の直前に自伝の草稿を書きあげている。 1995年に出版されたその自伝の題名は 「Killing Time (時殺)」、意訳すれば 「ひまつぶし」、その最後を 「愛が人生のすべて」 と結んだ。 「愛と個人的な理解のほうがはるかに重要だ」 とする自らの主張を裏打ちするかのように、「私の大好きな活動、それは妻のために皿洗いをすることだ」 というコメントとともに皿で一杯になった流しを前にしてエプロン姿でにんまりと笑っている写真がのこされている。 希代の反科学哲学者の面目躍如たる辞世の風景である。
 それはまた 「おもしろき こともなき世をおもしろく」 という辞世の句をのこして黄泉へと旅立った維新の英雄、高杉晋作の風景に相似する。 晋作にとってみれば、あるいは維新回天さえも 「ひまつぶし」 であったのかもしれない。 余談になるが、晋作の上の句に続けて、功山寺挙兵の際に高杉晋作を匿っていた福岡の勤王女流歌人、野村望東尼が 「住みなすものは心なりけり」 という下の句を付け加えて本句が完成されたとされるが定かではない。
 かくなる 「無常に対するニヒリズム」 については 「無常を観じて足を知る(第703回)」 で書いている。

2019.03.29


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