私 生まれも育ちも葛飾柴又です 帝釈天で産湯をつかい
姓は車 名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します ・・ で始まる渥美清主演(山田洋次監督)の映画 「男はつらいよ(フーテンの寅)」
は1969年(昭和44年)から1995年(平成7年)までに全48作続いた日本映画史に輝く国民的映画である。 日本がたどった高度経済成長からバブル経済を経て失われた10年に至る列島各地、津々浦々の社会風景を描いて来た。
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それはそのまま日本の近代史であり、日本人の価値観の変遷を物語る貴重な文化遺産である。
その中でも主人公、フーテンの寅がふと吐露する 「あの名台詞」 はことさらにこの文化遺産の何たるかを象徴するように 「主旋律」 を奏でている。
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私にはその名台詞が時として 「叙情詩」 のように感じられ、あの独特の衣装と風貌で列島を渡る風のように旅した寅さんの孤影が、笑顔の裏に深い悲しみを隠した
「放浪詩人」 のようにも思えた。
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かくして不朽の放浪詩人はこの世を去ってしまったが、その面影は今もなお、列島各地のあの風景の中に、そしてこの風景の中に、あの日のままに、生き続けているのである。 |
例えば、日暮れ時、農家のあぜ道を一人で歩いていると考えてごらん。
庭先にりんどうの花がこぼれるばかりに咲き乱れている農家の茶の間。 灯りが明々とついて、父親と母親がいて、子供達がいて賑やかに夕飯を食べている。
これが ・・ これが本当の人間の生活というものじゃないかね、君。
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おう労働者諸君! 今日も一日ご苦労様でした。
さあ明日はきっとからっと晴れた いい日曜日だぞ。
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いいかあ、人間、額に汗して、油にまみれて、地道に暮らさなきゃいけねえ。
そこに早く気が付かなきゃいけねえんだ。
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どうだい、旅は楽しかったかい。 例えこれがつまんない話でも、面白いねぇと言って聞いてやらなきゃいけない。
長旅をしてきた人は、優しく迎えてやらなきゃなぁ。
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お前もいずれ、恋をするんだなぁ。 ああ、可哀想に。
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たった一度の人生をどうしてそう粗末にしちまったんだ。
お前は何の為に生きてきたんだ。 なに? てめえのことを棚に上げてる? 当たり前じゃねえか。 そうしなきゃこんなこと言えるか?
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満男 「人間は何のために生きてんのかな」 寅
「難しいこと聞くな、お前は ・・ 何と言うかな、あー生まれてきてよかった。 そう思うことが何べんかあるだろう。 そのために生きてんじゃねえか。」
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働くってのはな博みたいに女房のため子供のために額に汗して真黒な手して働く人達のことをいうんだよ。
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俺はな、学問つうもんがないから、上手い事は言えねえけれども、博がいつか俺にこう言ってくれたぞ、自分を醜いと知った人間は、決してもう、醜くねえって
・・・。
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映画フーテンの寅 「寅次郎サラダ記念日」 のワンカット。
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信州小諸で出会ったおばあちゃんに次のバスはいつ来るのかと尋ねる寅次郎。
「1時間先だよ」 とおばあちゃん。
「まあいいか ・・ 俺の持っているものは暇だけだから」 と寅次郎。
「暇なら家に来ないか」 とおばあちゃん。
「俺はこう見えても忙しいんだ」 と寅次郎。
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信州を渡る風に吹かれ颯爽と立つ寅次郎の姿が彷彿と目に浮かぶようである。
それはまた日本を代表する哲学者、京都学派の創始者である西田幾多郎(1870.5.19〜1945.6.7)の 「絶対矛盾的自己同一」
を体現した世界でもある。 フーテンの寅こと車寅次郎はその矛盾的世界を軽々と超えていったのである。 孤高の吟遊詩人が演じた面目躍如たる風景である。
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※)絶対矛盾的自己同一
相反する2つの対立物がその対立をそのまま残した状態で同一化すること。 西田は2つの対立が一体であることを実感することで人は悟りの境地に至ることを示した。
天と人とは対立物であるが 「我はすなわち天なり、天すなわち我なり」 と悟った瞬間に世界観は一変するのである。 かかる境地は日本人が禅において、あるいは武士道において、古来より目指してきたものでもある。
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