Linear ベストエッセイセレクション
満天の星〜時空の旅人
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 本エッセイを 「1000回までは書いてくれ」 と言っていた彼はその1000回を祝して宴を催してくれた。 宴と言っても仕事が終わったあといつものレストランで食事をし行きつけの喫茶店でコーヒーを飲むだけのささやかなものであったが私にとっては極上の三つ星であった。 だが本当の宴はその後に訪れた。
 帰り道、私が 「安曇野天文台」 と呼んでいる彼が長年の工夫をこらして完成させた天体観測ドームに寄って 「満天の星」 を観せてくれたのである。
 若き日、彼は貨物船の通信士として7つの海を渡って地球を周回していた。 カラオケで 「冬のリビエラ」 を唄うのはそのせいかもしれない。 NHK紅白歌合戦に向けて南太平洋の洋上から 「紅組がんばれ 白組がんばれ」 を打電、司会者がその電文を読み上げたことは語りぐさである。
 船を下りてからというもの ・・ ある韓国出張から戻る機内ではフィギュアスケートの浅田真央選手と隣り合わせとなり 「浅田さんですよね サインしてくれますか」 とパスポートを差し出すと 「こんなところにサインしていいんですか」 と言いながらも笑ってサインをしてくれたこと ・・ 色あせた自宅壁面の塗装を思い立つや、ネットでさがした工事用の足場を引き取りに 4トントラック を駆って深夜の高速道を大阪まで往復、塗装作業には1年以上を費やし下塗り上塗りを繰り返して完璧に仕上げたこと ・・ 等々。 語り出すと逸話にことかかない。 だが彼はエレクトロニクス技術を扱うれっきとした会社の社長なのである。
 そんな彼がいつどこで天体観測ドームを作ってしまうほどに星空の彼方に憧れを抱いたのかは、多くを語らない彼からは知るよしもない。 あるいはそれは洋上の貨物船の甲板から見あげた満天の星空であったのか ・・ それとも単調な塗装作業を繰り返した蜩が鳴く夏日の足場でのことであったのか ・・?
 とまれ観測ドームは2層構造を成し、上層には望遠鏡とその制御装置が収まり、下層には観測指示やそのデータ処理を行うコンピュータ等が収まっている。 上層に登ってドームを開くとそこには寒気漂う冬空に瞬く満天の星空が広がっていた。 観測ドームの周囲は漆黒の闇と静寂で包まれている。 上空を渡る雲が若干あるものの観測にはまあまあの状況だという。 星空には素人の私のために観測地点をアンドロメダ銀河とオリオン大星雲に向けてくれた。
 やがて上層ドーム内に置かれたモニター画面に望遠鏡に取り付けられた高精細CCDカメラがとらえたアンドロメダ銀河とオリオン大星雲が現れた。 写真では見てはいたが直に見るのは初めてであった。 何千万光年と離れたその宇宙を眺めているうちにどこからともなく 「生物としての自分とはいったい何ものなのか」 という不可思議な感懐が湧いてきた。 あるいは彼もまたひとり真夜中の観測ドームで星空の彼方を眺めながら 「この宇宙に人類が存在する奇蹟の意味」 を探し求めているのではあるまいかとふと思った。 自らを語ることなき 「時空の旅人」 がここにいる。

2017.01.31


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