Linear ベストエッセイセレクション
五木ひろしの風景
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千曲川旅情
 その日、私は松本市街地のはずれにある馴染みのスナックのカウンター席で流れる時に身をゆだねていた。 隣では地方の支店長であろうか、本社から配属されてきたのであろう新入社員と水割りを傾けている。 今夜行われた歓迎会のあと、支店長に誘われて来店したのであろう。 ほろ酔いかげんの支店長はカラオケに興じようとマイクを握った。 目の前にあるモニターには五木ひろしの 「千曲川」 のイントロ映像が映っている。 ご機嫌に見上げながら 「この曲いいだろ〜」 と言う。 彼は 「ああ千曲川(せんきょく川)ですか」 とあっけらかんと相づちをうった。 とたん支店長の表情は憮然としたものに変わり、眼なじりに私の気配を感じながら 「千曲川(ちくま川)だ!」 と嘆息混じりに呟いた。
 おそらく青年の世界には藤村の 「千曲川旅情の歌」 は存在しないのであろう。 世代間格差といってしまえばそれまでであるのだが。 気をとり直して歌う支店長の表情には 「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ姿が ・・ 暮れ行けば、淺間も見えず、歌哀し佐久の草笛の音色が ・・ 千曲川いざよふ波の岸近き、宿にのぼりつ、濁り酒濁れる飲みて、草枕しばし慰む思いが ・・ 」 浮かんでいるようであった。
 またある日、私は上田市から長野市に向かう国道18号線を左折、千曲川に架かる橋を渡った戸倉上山田温泉の萬葉公園、千曲川を望む堰堤に建立された 「千曲川の歌碑」 を訪れた。
  うらうらと照れる春日の昼下がりであった。 磨かれた石面には作詞家、山口洋子の千曲川の詩が刻まれている。 歌碑の前には押しボタンがあり、なにげなく押すと突然、思わぬ大音声で五木の歌声が流れ出た。 あわてて止めようにも停止ボタンがない。 つまり、ひと度、押すと最後まで歌い終わらなければ止まらない仕組みである。 さらに間が悪いことに、その歌碑の裏側では、付近の工事現場で働いているのであろうか、3人ほどの職人さんが食後の昼寝をしていたのである。 安眠を妨げられた彼らがあげる呻き声が日陰の中から聞こえてきた。 いきがかりじょう、その場を立ち去るわけにもいかず、フルコーラスを聴き続けることになってしまった。 その時間の長いことこのうえなく、呻き声はかつ消えたかと思えば、かつまた揚がった。 歌う五木といえば、そんなことども一顧だにせず浪々と歌い続けた。 その歌声はさざ波にきらめく千曲川の川面を渡る風にのって陽炎のように信濃の空に広がっていく。 その風景を前に私は呆然として立ち尽くしていた。 一方、午睡の彼らといえば夢心地でそれを見送っているようであった。
 以上のエピソードは私がめぐり逢った 「五木ひろしの風景」 であり、今となればかけがえのない 「千曲川旅情」 となって甦ってくる。
「千曲川」 作詞 山口洋子 作曲 猪俣公章

水の流れに 花びらを
そっと浮かべて 泣いたひと
忘れな草に かえらぬ恋を
想い出させる 信濃の旅よ

明日はいずこか 浮き雲に
煙たなびく 浅間山
呼べどはるかに 都は遠く
秋の風立つ すすきの径よ

一人たどれば 草笛の
音いろ哀しき 千曲川
よせるさざ波 くれゆく岸に
里の灯ともる 信濃の旅路よ
「千曲川旅情の歌」 島崎藤村 (落梅集より)

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む

2014.11.22


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