Linear ベストエッセイセレクション
徳久広司の風景
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そんな女のひとりごと
 五分刈りの頭で背広すがたギターを抱いた演歌歌手兼作曲家の徳久広司が笑顔でありながらも浮き世の哀感を忘れることなく唄っている。 それは 「名歌復活」 と題したテレビ番組でのことであるが、そこには銀座かどこかのクラブで飲んでいた中年サラリーマンのお客が店のホステス嬢に促されて唄っているかのような実在感が漂っている。 曲は徳久が作曲した 「そんな女のひとりごと」 である。 まずはその曲を聴いてみよう。
「そんな女のひとりごと」 作詞 木未野奈(きみのな) 作曲 徳久広司
お店のつとめは はじめてだけど
真樹さんの 紹介で
あなたの隣りに 座ったの
あそびなれてる 人みたい
ボトルの名前で わかるのよ
そんな女の ひとりごと

身体に毒だわ つづけて飲んじゃ
ユミさんは こないけど
10時に電話が 入るわよ
あなた歌でも 唄ったら
少しは気持ちも はれるでしょ
そんな女の ひとりごと

車でおくると いわれたけれど
奈美さんに しかられる
あなたの浮気は 有名よ
ジンのにおいで 私まで
酔わせるつもりね 今夜また
そんな女の ひとりごと

グレーの背広に ラークのタバコ
ママさんの いい人ね
身の上ばなしを したいけど
渋い笑顔に どことなく
かなしい昔が あるみたい
そんな女の ひとりごと
 作詞は木未野奈(きみのな)とあるが、どうやらそれは音楽プロデューサーの曽根一成氏のペンネームであるらしい。 物語には 「フィクション(虚構・創作)」 と 「ノンフィクション(真実・実話)」 の別があるが、この曲に描かれた世界は明らかに 「バーチャル(仮想)」 ではなく 「リアル(現実)」 の世界である。 ある日、ある時、そのクラブで実際にあった出来事を 「たんたんと描いた」 に過ぎないのである。 だがその世界が現実的であるがゆえに、そこには作家が得意とする仮想的な創作性が入る余地が一行もない。 言うなれば作詞する必要性がない。 がゆえに作詞家名を 「木未野奈(きみのな)」 などという不特定多数の人格にしたのかもしれない。 創作の世界は虚構であるがゆえに何ものかを足したり引いたりするのが常であるが、実話の世界は実在であるがゆえに足したり引いたりするものが何もない。 あるいは作家そのものさえいらないのかもしれない。
 だからといって描かれた世界に文学性がないわけではない。 お客とホステス嬢の間で交わされる人情機微の豊かさ、同僚ホステス嬢やママさんに対する気配り思いやり等々 ・・ ほのぼのとした情感は見事である。 最近の若者は 「空気が読めない」 と揶揄されるが、描かれた世界に登場した、お客にして、ホステス嬢にして、ママさんにして、その 「惻隠の情の何たるか」 は文学そのものであろう。

2018.07.31


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