松林図に関する論評(抜粋)
靄に包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を、粗速の筆で大胆に描きながら、観る者にとって、禅の境地とも、わびの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現をなし得た等伯の画技には測り知れないものがある。
彼が私淑した南宋時代の画僧牧谿の自然に忠実たろうとする態度が日本において反映された希有の例であり、近世水墨画の最高傑作とされる所以である。
文禄元年(1592年)等伯が祥雲寺障壁画(現、智積院襖絵)を完成させた翌年、息子の久蔵が26歳の若さで亡くなっており、その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく、自分自身のために描いたとも言われる。
等伯の生まれ育った能登の海浜には、今もこの絵のような松林が広がっており、彼の脳裏に残った故郷の風景と牧谿らの技法や伝統と結びついて、このような日本的な情感豊かな水墨画が誕生したとも想像されている。
|