Linear ベストエッセイセレクション
モーリス・ユトリロの風景
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もっと思いを
 パリのモンマルトルを描いたユトリロの絵は誰しも一度は好きになるであろう。ユトリロの作品は大半が街路や教会や運河などを描いた「ありふれた風景画」であるが、その画面には不思議な詩情と静謐さが満ちている。主調として用いられた独特の白色が印象的で、その頃に描かれた作品を称して「白の時代」といわれている。だがその印象的な画風を知ってはいても、ユトリロその人の生い立ちや過ごした人生を知っている人はそう多くはないであろう。
 モーリス・ユトリロ(1883年〜1955年)を語るにその母であるシュザンヌ・ヴァラドンは欠かすことはできない。シュザンヌは数々の職業を経て10代半ばで画家のモデルとなった。ルノワールとはモデルを勤めるとともに愛人でもあった。ユトリロは彼女が18歳で産んだ父親不明の私生児である。ロートレックと同棲したあと、エリック・サティの友人と突然結婚するが、その安定した生活を捨て、今度は息子であるユトリロの友人であった20歳も年下の青年と恋愛、13年連れ添った夫と離婚する。
 そんな生活環境の中でユトリロは母親の育児放棄が原因で、中学生でアル中となり、10代後半で精神病院に送られている。そこでの治療の一貫として始めた絵が類いまれなる才能を発揮して画家として生きる道が与えられることになる。だがその後も自由奔放な母に振り回され続けるユトリロの人生は、精神病院を出たり入ったり、刑務所に入ったり出たりの繰り返しで、酒浸りの生活はあらたまることはなかった。かく希にみる奔放な母ではあってもユトリロは生涯に渡ってその母シュザンヌの愛を求め続け、それを得られぬまま孤独の中でひたすら絵を描き続けたのである。
 ユトリロが絵はがきを基に創作したことは衆知のことであるが、これは周囲からは鼻つまみ者で嫌われていた彼が、戸外でイーゼルを立てると、どこからともなく石が飛んでくるので、しかたなく室内で描いたからであるという。
 またある人がユトリロに「もし パリに二度と帰って来れないなら 何を持ってパリを去るか?」と尋ねたところ「漆喰のかけらを持っていく」と答えたという。彼の作品のいくつかは漆喰や砂を混ぜて白を表現している。漆喰の何がそこまでユトリロを虜にしたのかは分からないが、彼の「内なる風景」が白い漆喰の壁面であったということであろうし、あるいは、それはまた、母や友人に裏切られ、周りからは厄介者として扱われていたユトリロの精神が魂の救済を求めて最後に行き着いた「祈りの風景」であったのかもしれない。
 第一次世界大戦後、ユトリロの風景画は大評判を呼び画壇の頂点に上りつめ巨匠の仲間入りを果たした。母シュザンヌの再婚相手であったユトリロの友人がマネージメントを引き受けてくれたおかげで、画業は順調に発展、勲章まで受章、あげくはパリの名誉市民賞も授与されたが、ユトリロのアル中は終生に渡って直ることはなく、71歳でこの世を去った。母シュザンヌの晩年は、若い夫に捨てられ孤独な最期だったというが、72歳の天寿を全うしている。モディリアーニやロートレックは30代で亡くなっていることからすれば、母子ともに長寿であったといえる。ユトリロの強健な体は、あるいは母親譲りであったのかもしれない。では類い希なる絵の才能はどこからきたのか? 母シュザンヌが何も語らずに旅立ってしまった今では永遠の謎である。
 母シュザンヌが死去したとき、ユトリロはあまりのショックで葬儀に参列することが出来なかった。最愛の母を失い魂の抜けた彼の姿は「ボロボロの老人」のようであったという。彼がアトリエにつくった祭壇にはマリア像と母からもらった像にならんで、母シュザンヌの遺影が置かれていたという。どんなに求愛しても相手にしてくれない母を聖母マリアに重ね合わせて祈りつづけたマリア像、そこには生涯に渡って求め続け慕い続けた母への思いと愛が秘められている。
 1955年11月9日、モーリス・ユトリロはモンマルトルのサン・バンサン墓地に埋葬された。墓には手に絵筆とパレットを持った白い像が建てられているという。墓地の塀を挟んだ向こう側には、かつて入り浸り、酒を飲み、暴れ、何度となく出入り禁止された酒場、ラパン・アジルがある。この思い出深い酒場のすぐ横で慣れ親しんだモンマルトルを見守りながら永久の眠りについたユトリロはさぞや本望を達した思いであったであろう。
 ちなみにユトリロの作品においては皮肉にも彼が人生でもっとも辛かった、母や友人に裏切られ、周りからは厄介者として扱われ、精神病院と刑務所を入ったり出たりして、酒浸りであったころのものが最も評価が高いという。人々を魅了した画面に流れる不思議な詩情と静謐さとはユトリロの内なる思いが描いた心象風景であったのである。やはり表現者としての芸術家にとってもっとも必要なものとは「その思い」なのである。 「もっと思いを」とはそのことである。

2017.02.24


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