| 世界から正義が失われようとしている。 まかり通るのは権力であって、現れるのはむき出しの欲望である。
流れを止めることはできるのか? 失望することはない 「優雅なる異端」 の時代がやって来たのである。
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| 優雅とは金に任せて贅沢三昧をすることではない。
それは、愚かなことに荷担しないことであり、生きる意味がわかっていることであり、善と悪を見抜けることであり ・・ しかして、世の脅迫や恫喝に屈しない強靱な精神と動じない心をもっていることである。
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| 人は物質的存在であるとともに精神的存在でもある。
物質はちっぽけであっても精神は際限なく大きい。 ときとして宇宙をも凌駕するほどである。 優雅なる異端を実践した空海の 「大いなる精神」
は片隅にあって尚、世界を動かし得たのである。
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| 何かを得ようとすれば何かを失うは世の常である。
全てが得られるわけではないが、全てが失われるわけでもない。 目指すは 「ゆるぎない自己の完結」 であって 「ゆるぎない生活の完成」
ではない。
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※)「優雅なる異端」とは、今を遡る20数年前、塩野七生の著作
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」 から着想したものである。 その 「優雅なる冷酷」 のあらましは以下のようである。
法王の息子というキリスト教世界での異端児でありながら、チェーザレは枢機卿にまで上り詰めた。 しかし、その象徴である緋の衣を脱ぎ捨て、真の目標に向け進み始める。
剣を手にした彼の野望はイタリア統一であった。 本作では、父や縁戚フランス王の権威を背景にして自らの王国樹立のために権謀術数の限りを尽くした若者の鮮烈な生涯が描かれている。
「毒を盛る男」 と断じた歴史の評価に対し 「マキアヴェリズムの体現者」、「行動の天才」 という新しいチェーザレ像を提示した塩野七生の初期代表作である。
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