Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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虚空蔵求聞持法と直観的場面構築
 虚空蔵求聞持法とは記憶力や知恵の増進を目的とした真言密教の修行法で、弘法大師空海が若き日に行ったとされる。 強い集中力と精神力が必要とされ、達成すると一度読んだ経典を忘れず、瞬時に理解できるとされる。 空海が書いた 「三教指帰」 には、「ここにひとりの沙門あり、余に虚空蔵求聞持を呈す。 その経に説く、もし人、法によってこの真言一百万遍を誦すれば、すなわち一切の教法の文義、暗記することを得る」 と記されている。
 三教指帰とは、空海が 18歳 の時に書いた仏教書で、儒教、道教、仏教の三つの教えを比較して最終的に仏教が最も優れていることを説いた日本最古の 「戯曲形式の小説」 である。 空海の出家宣言の書とも言われる。 人生の目的(仏道)を明らかにするために、三教の代表者を登場させ、人生の根本的な救いと真理は 「仏教にあり」 と結論づけ、仏教への絶対的な確信と出家の決意を表明した。 のちの空海の思想が反映されているとされる著作である。 その三教指帰の中で、若き空海は仮名乞児(かめいこつじ)と名のる乞食僧として登場するのだが、これ以上の説明はここでの本題からはずれるため割愛する。
 本題は 「虚空蔵求聞持法」 と名付けられた 「記憶術」 についてである。 空海はこの術を使って万巻の書物を記憶したとされる。 その内容は明かされていないが、空海のその後の行状を鑑みるとき、私の 「直観的場面構築」 との相似性に驚かされる。 私はこの方法(発想法)を使って、多くの 「技術開発」、「著作」、「随筆」 等々を創出してきた。
 直観的場面構築をひとことで表現すれば、「様々な認識断片を集合組成することで場面を構築、構築された場面から瞬時に解を得る方法」 とでも要約されよう。
 私がこの手法を見いだしたのは奇しくも空海が虚空蔵求聞持法を習得したと同じ 18歳頃 のことである。 私が18歳頃(学生時代)に受けた試験のための学習とは 「丸暗記」 を常としていた。 最初は言葉による暗記であったが過度に行うとやがて胃がもたなくなる。 それが極限に達するやしだいに暗記は 「言葉から場面へと移行」 していったのである。 この暗記法は教科書のページを写真に収めるがごときのものであって、出題された問題の解答は記憶されたその場面の何ページかを 「呼び出す」 ことでなされた。 出題がページの備考欄からのものであっても、その場面が記憶されている限り、しばらく瞠目して場面をサーチすれば、やがてはそこに焦点がフォーカスされるように 「目的の場面」 へと到達できたのである。 その効果は絶大であった。
 のちに友人とともに体験したさまざまな事象を詳細に記憶していることに 「どうして覚えているのか?」 と不思議がられたが、それもまた 「体験を場面として記憶」 していたからに他ならない。 その場面を想起すれば、その場面に写っているもの 「すべて」 について語れるのは当然のことのように感じられた。 その時に壁に掛かっていた絵画にして、棚のうえに置かれた人形にして、また同じである。 その記憶法が技術開発において、小説や随筆を書くにおいて、絶大な効果を発揮したことは前述した通りである。 目的の世界が 「場面として構築されている」 のであるから、ことさらに考える必要はなく、その場面を説明(解説)するだけで事足りたのである。 第2046回 「安曇古代史仮説」 などはその典型であろう。
 日々為すべきは、直観的場面構築が起動するために必要な認識断片を集合(蓄積)することであり、場面を組成するきっかけ(機会)を気長に待つことであって、私の日常は今も何ら変わりがない。

2025.12.28


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