陽明学の創始者、王陽明は 「陽明学とは」 と尋ねられたとき、「心を陶冶し鍛える大切さを教え、万物一体の考え方を理解し、心の中の葛藤をなくし、不動心を確立する教え」
と要約した。
|
だが物質でも意識でもない 「心の作用」 をいかなる方法論で理解したらいいのであろうか?
物質的方法論である 「科学」 や、意識的方法論である 「哲学」 は用をなさない。 換言すれば、科学的数式や哲学的言語では語ることができない。
|
「陶冶(とうや)」 とは、もって生まれた素質や能力を円満に育て上げることを意味する。
もとは 「陶器を焼き金属を鍛えるように物を作り上げる」 という意味から転じたものである。 それは手塩にかけゆっくりと時間をかけて動植物を育てるのに相似する。
心もまた同じように育てることで、「あるべき心の姿」 へと自然に導かれるのかもしれない。
|
俗に 「天然の人」 とよばれる人がいる。 あるいはその天然の人が抱く
「天然の心」 こそが陶冶された 「心の理想型」 なのかもしれない。
|
|