陽明学の創始者である王陽明が言う 「心」 には物質を基とした身体や意識を基にした精神のように基とするものがない。
基となるものがないがゆえに、心はあらゆる拘束から解放されるとともに、絶対的な自由が確保される。 この拘束から解放された自由な心が
「生命の源泉」 である。 現代人が抱える 「四苦八苦」 の窮状は、その心の源泉が枯渇しかかっていることを現している。 生命の源泉が失われてしまったら、もはや施す術はなく万事休すである。
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もし 「宇宙の心」 が万物の源泉であったとして、その源泉が枯渇してしまったら万物の胎動は停止してしまうであろう。
いやそんなことはない。 万物の胎動は続いているではないかという人には、虚心坦懐、目を見ひらいて、それがリアルとしての 「現実の世界」
でのことなのか、それともバーチャルとしての 「虚構の世界」 でのことなのかをよくよく確かめて欲しい。 現代情報社会であってみれば、現実であると思ったことが虚構であったということも多分にありえることである。
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そんなことは考えたくないが、もしも仮に、現実の世界が心の源泉が枯渇した虚構の世界であったとしたら、事は重大で影響は計り知れない。
営々と築いてきた人類の試みは一夜にして瓦解、すべては 「大いなる徒労」 に帰してしまうであろう。
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真言密教を創始した弘法大師空海は 「宇宙の心」
を 「どこにもあって、どこにもない」 と言い、それは 「最大であるとともに、最小である」 と言い、それはまた 「無」 であり、「0」
であると言う。 玄奘三蔵が訳した 「般若心経」 では、それを 「色即是空 空即是色(あるとおもうとない、ないとおもうとある)」
と言う。 宇宙の心は、かくもとらえどころがない。 よほどの心眼が備わらなければ 「現実の世界」 と 「虚構の世界」 を見分けることはできないであろう。
まして不完全な人間であってみれば、かくなる 「大いなる錯覚」 を責めたてることはできない。
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以下の記載は、空海が遺した 「太始と太終の闇」
と題された偈(詩文)である。 生涯を代表する大作となった 「秘密曼荼羅十住心論」 をみずからが要約した 「秘蔵宝鑰」 の序文、最終行に配されている。
現実の世界と虚構の世界の 「大いなる錯覚」 を自覚し悟ることはかくも難しいことを教えている。
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三界の狂人は 狂せることを知らず
四生の盲者は 盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れて 生の始めに暗く
死に死に死に死んで 死の終わりに冥し
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秘蔵宝鑰を書き終えて5年後、空海は62歳で高野山に入定(入滅)した。
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凡夫であってみれば、為すべきは、「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ(間違いを犯したと認識したら、躊躇せずに改めるべき)」
であって、すみやかに 「心の源泉」 に回帰するのみである。
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