王陽明が創始した 「陽明学」 は 「心は万物の理である」
とする 「心即理」 を第一義とする。 人間は周囲の世界と三重に関係している。 それは、「身体」 と 「心」 と 「精神」 である。
人間は物質的身体を通して感覚でとらえる物質世界に居住し、心を通して自分自身の世界を築き、精神を通して肉眼では見えない世界を拓くのである。
陽明はその中でも 「心」 が人間の生きように決定的な役割を果たしていることに気づいた。 同じ風景が 「心のありよう」 で違って見るのは、目で見ているのではなく、「心で見ている」
からに他ならない。 同様に周りが汚れるのは、「心が汚れている」 からに他ならないのだ。
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以下の記載は、陽明の言行を記録した 「伝習録」
から採ったものである。 陽明と弟子たちが山間に遊行したときの逸話である。
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ひとりの弟子が岩間に咲いている花の木を指して陽明に質問した。
「天下に心外のものはないとおっしゃいますが、この花は深い山奥で自然に咲き自然に散っていくだけです。 ということは、私たちの心と何の関係があるのでしょうか」
「君がまだこの花を見なかったとき、この花は君の心とともに静寂の状態にあった。 いま君がここへ来て、この花を見たとき、この花の色はいっぺんにはっきりとしてきたのだ。
これで、この花が君の心の外にあるものでないことがわかるだろう」
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陽明学が 「心学」 といわれる理由がここにある。
物質界と私たちの心とは切っても切れない関係がある。 換言すれば、主体である心(見るもの)と客体である物質界(見られるもの)とには切っても切れない連続した関係があるのだ。
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かって(2010年10月)、長野県北安曇郡小谷村の栂池高原を訪れたときに上記した伝習録の逸話に思い至ったことがある。
信州つれづれ紀行 「山奥で咲く花」
を参照
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