100年続いた確かさよりも1000年続いた確かさのほうが、1000年続いた確かさよりも10000年続いた確かさのほうが、より
「確かなもの」 である。 現代社会の確かさは、たかだか10年程も続いた泡沫(うたかた)のような確かさに過ぎない。 そのような確かさにあたふたする必要などどこにもない。
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現代人が信じている確かさは、ひとえに 「経済的合理性」
である。 永遠の時間の風雪に耐えて最後にのこるものはそのようなものではない。 最後にのこるものは 「人としての道義」 である。
道義とは偽りのない人としての 「無垢な心」 そのものである。 人が生きるとはその確かさがあってのことである。 生きる確かさを失ってしまった現代人は、この先
「何処に往こう」 としているのであろう?
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