人が迷うことなくこの世を生きていくためには、基準となる羅針盤が必要である。
だが現代社会は、その羅針盤を失った難破船のごとくであって、逆巻く波濤の狭間に漂っている。 以下の記載は、その頼るべき羅針盤に向けた知的探求の軌跡である。 |
この世には事の是非を測るに 「ふたつの天秤」
がある。 ひとつは 「人倫の天秤」 であり、人間社会での善悪や正邪が測られる。 他のひとつは 「宇宙の天秤」 であり、人間社会を包含する宇宙の真実や真理が測られる。 |
人倫の天秤は、人間の倫理観から作られた天秤であるため、時間軸に添った
「時代」 により、また空間軸に添った 「場所」 により、その測定結果が異なる。 しかし、宇宙の天秤は、宇宙の真理から作られた天秤であるため、時間軸にも空間軸にも影響されることなく、いかなる時代でも、またいかなる場所でも、その測定結果は同じである。 |
人倫の天秤は、人間の意思が測定結果に影響を与えるが、宇宙の天秤は、人間の意思に何等影響を受けない。
このため人倫の天秤の測定結果は、えてして 「不公平」 である。 人間社会の特異性は、この人倫の天秤による不公平な測定結果にあると言っても過言ではない。
人間社会に生きる我々の消費エネルギの多くが、この人倫の天秤による不公平な測定結果を 「改ざん」 し、また時として 「ねつ造」 するために費やされてしまう。 |
これに対し、宇宙の天秤は、おそろしいほどに 「公平」
である。 時代や場所を選ぶことなく、また人間の意思にも左右されず、測定結果は同じである。 換言すれば、人倫の天秤は 「相対的天秤」
であり、宇宙の天秤は 「絶対的天秤」 である。 |
我々は、この相対と絶対のふたつの天秤の使用限界と性能を充分に理解し、適宜に使い分けることが必要なのだが、現代社会では相対的な人倫の天秤のみが重要視され、世の大道は、人倫の天秤を抱えた群衆で混雑し、その測定結果を改ざん、ねつ造する人々が大手を振って闊歩している状態である。
しかしながら、この状況では、我々は決して 「心の平安を得る」 ことはないであろう。 なぜなら、人倫の天秤の測定結果は、いついかなる状況で急変するかが予測できない。
一夜にして天国から地獄に突き落とされるかもわからないのである。 |
我々が本当の心の安らぎを得ようとするならば、宇宙の天秤を使用することである。
なぜなら、宇宙の天秤の測定結果は、いついかなる状況でも変化することなく 「絶対的公平」 であり、安定した生活が保証されるからである。
だが宇宙の天秤は絶対的公平であるがゆえに、また是非もない 「非情の天秤」 でもある。 多いものは多く、少ないものは少なく、在るものはあり、無いものはない。
心臓が止まれば人は死ぬことを明らかにする。 その測定結果に影響を与えるものは真実と真理のみであって、それ以外の何ものでもない。 |
我々現代人は、そろそろ人倫の天秤に対する傾斜した価値観を転換し、かっての古代人が大切にした宇宙の天秤に回帰しなければならない段階に来ているのではあるまいか?
思わせぶりな脚色も、追従笑いもいらない ・・ 宇宙はただそこに在り、時が刻々と経過しているのみである。 |
今ほど真偽、善悪、正誤を判断する基準である 「宇宙の天秤」
と 「人倫の天秤」 の乖離が大きくなってしまった時代はかってあったであろうか? |
その原因の多くは情報化時代特有の現象に端を発しているように観える。
情報は時として簡単に捏造されてしまう。 流行の言葉で言えばトランプ大統領が多用する 「フェイク」 のようなものである。 今や社会はこのフェイクニュースが激しく飛び交い何が真実なのか直ちには見極めがつかない。
その手筋も巧妙なものから稚拙な言い逃れを含め種々雑多、複雑怪奇であって、その様相は底なし沼のようである。 |
人倫の天秤は文字通り 「人間の倫理観」 に基づく天秤であるが、その倫理観が、嘘八百を主導し、悪を善に塗り替え、誤りを正しいとうそぶくようでは
「天秤の機能」 などすでにして消失してしまっている。 万物の霊長と尊称されてきた人間にしてこの凋落はどうしたことか? 茫然自失、立ち尽くすのみである。
羅針盤を失った船舶が漂流するがごとく 「天秤を失った社会」 もまたその漂流をのがれることはできないのかもしれない。 進みゆく先には波濤逆巻く大海原が横たわっているというのにである。 |
従来の価値観では、嘘は悪で誠は善である。 ここから導かれた義は、正義を土台にする。
よって、古今に渡って 「義のない戦は負け戦」 といわれてきたのである。 |
だが現在の世界情勢を鑑みると、この価値観の正誤、言うなればその
「評価基準」 が反転しているかのように感じられる。 曰く、嘘が善で誠が悪かのような、しかして正義では戦に勝てないかのような反転感覚である。 |
この世を測るにおいては 「宇宙の天秤と人倫の天秤」
の2つの天秤がある。 人倫の天秤では、人間社会での善悪や正邪が測られ、 宇宙の天秤では、人間社会を包含する宇宙の真実や真理が測られる。
人倫の天秤は 「相対的な天秤」 でその中核は人間意志に基づく多数決であり、宇宙の天秤は 「絶対的な天秤」 でその中核は人間意志が関わらない科学に基づく真理である。
世の評価基準が反転するとは、人間意志に基づく多数決で決まる人倫の天秤の測定結果が、人間意志が関わらない科学的真理で決まる宇宙の天秤の測定結果よりも正しいことを意味する。 |
言うなれば 「人間は何をしようがお天道様が見ていなければいいのだ」
という考えである。 これらの様相は 「天秤を失った社会」 で描いている。 人間はこの世のすべてが人智をもってどうにでもなるかのごとく考えているのかもしれないが、人智をもってどうにかなるのは
「ほんのわずか」 な、どうでもいいような部分においてのみである。 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 から始まった集団的な思考停止の歩みは
「信義で飯が食えるか」 という経済至上主義の弊害に陥り、自分ファーストの 「強欲資本主義」 に至って倫理観を喪失させ、「末人の登場」
をもたらしたのである。 現代人が宇宙内蔵秩序としての 「宇宙の天秤」 を自覚する限り、危機は乗り越えられるように思うが、本末を転倒させて、その内蔵秩序を人倫の天秤で置きかえるようなことになれば、人類の命運も
「もはやそれまで」 ということになってしまう。 |
問題は解決されてこその問題であって、解決されなければ問題でさえない。
だがこの世では解決されない問題だらけである。 巷間、衆の注目を集めている自民党の裏金問題などはその代表であろう。 ひょっとすると事の当事者が目指している解はこの問題が解決されないところにあるのかもしれない。
解決されないところに解があるなど、問題としての体をなしていないが、「善処する」 という日本的な解決法とは、およそこのようなところに事の核心があるように思われる。
結局、事の解決は 「うやむや」 に帰することになる。 これらの戸惑いと困惑の原因は、「相対的真理」 を扱う社会的な問題を 「絶対的真理」
を扱う科学的な問題として描いたところにある。 |
相対的真理とは、人為的な多数決によって決定される真理であって、専ら社会学的な問題の解決に使用される。
他方、絶対的真理とは、人為的な介入を排した宇宙の秩序や自然の摂理によって決定される真理であって、専ら科学的な問題の解決に使用される。
私はかくなる相対的真理の判定に用いる手法を 「自己保存の法則」 から導かれた 「人倫の天秤」 と呼び、絶対的真理の判定に用いる手法を
「エネルギ保存の法則」 から導かれた 「宇宙の天秤」 と呼んでいる。 それらの天秤の運用にあたって注意することは、どちらの真理も同じく真理であって、互いに互いを否定することはできないという点にある。 |
正解は相対的真理と絶対的真理の狭間に開かれている。
哲学者、西田幾多郎は、その 「真理の狭間」 を 「相互否定的な絶対矛盾的自己同一の世界」 と述べている。 絶対矛盾的自己同一とは、一見すると対立して相容れないものが、見方を変えると同じものであるという意味で、西田は現在や世界が絶対矛盾的自己同一そのものであると考えたのである。 |
矛盾する相対と絶対の2つの真理を自己の内で同一化することがこの世を生きる人間に与えられた意味であり目的であるならば、当面、これ以上に相応しい羅針盤は他に見あたらない。 |
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