Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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予測不能な社会〜賭博場のごとく
 トランプ大統領の登場によって、世界は予測不能な社会へと変貌してしまった。 トランプ大統領が繰り出す政策はそのどれもが理解不能であって、従来の思考方法からは大きく逸脱してしまっている。 直截に言えば、その政策は気まぐれな思いつきのようであり、論理矛盾に満ちているとともに、何を目指しているのか、また何をしたいのかが、かいもく理解不能である。 しいて探せば、それは 「世界を混乱させる」 ことそのものが目的のようにさえ思える。 その政策の成否は賭けごとのように 「確率的」 である。 トランプ大統領が多用する 「そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない」 という語りぐさがそのことを示している。 その語りぐさに 「みてみよう」 という付言をするところからすれば、トランプ大統領自身もまたその結果を判っていないのかもしれない。 奇をてらったその姿勢は、世界のリーダーとしては考えられないほどに無責任なものである。 自らが思いついた 「でまかせの政策」 の結果は 「みんなで考えろ」 というわけである。
 その結果が良ければ 「思いついた」 自らの功績を誇り、結果が悪ければ 「考えた」 他者を罵詈雑言をもって批難する。 これほど 「楽な対処法」 は他にはあるまい。 第1985回 で論じたトランプ大統領の 「勝利の法則」 とは、あるいはこのことなのかもしれない。
 だが問題は、世界を先導する方向性が 「こんな方法をもって決定される」 ことに対する危険性である。 トランプ大統領はその方法を 「ディール(取引)」 と呼ぶが、日本では 「丁半博打」 と呼んでいる。 結果をめぐって、しばしば争いが勃発するのは両者とも同じであって、前者の争いは 「戦争」 と呼ばれ、後者の争いは 「抗争」 と呼ばれる。 違いは規模の大きさだけである。 人はそれをグローバル社会と言うが、限りなく賭博場(オンラインカジノ)に近い。 そうであれば、自らを 「国王」 と呼ぶ無邪気なトランプ大統領は 「カジノの帝王」 と呼ばれるのが相応しい。 あるいは 「トランプ大統領の実相」 がアンデルセン童話に登場する 「裸の王様」 であったとすれば、王様が救われる道は 「王様が裸である」 ことを告げる純心な目をもった 「ひとりの子供」 の登場を待つしかないことになるのだが ・・ どうであろう。

2025.06.25


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