哲学の最難問に 「他我問題」 がある。 他我問題とは
「他人の心をいかにしてわれわれは知りうるか」 という哲学的問題である。 例えば、友人と赤の交通信号を見ている。 そのとき私と友人の赤の感覚は同じだろうか違うだろうか?
あるいは、友人はそもそも何かの色を感じているのだろうか? という問いである。 その答えは 「他人の心を直接に知る方法はありえない、なぜなら私は他者ではないからである」
となる。 |
同じ課題を哲学者のトーマス・ナーゲルは1974年のエッセイ
「蝙蝠(コウモリ)であるとはどんな気持ちか」 の中で 「いかに詳しく蝙蝠の生理機能について学ぼうと、我々は蝙蝠になると本当にどんな感じがするかを知ることはできない」
と述べている。 |
だが、2023年11月30日。 量子科学技術研究開発機構などの研究チームが、心の中で思い描いた風景や物体などのメンタルイメージを、機能的磁気共鳴画像装置で取得した脳の信号から復元する新たな技術を開発したことを発表した。
この研究結果を使用すれば、「他人の心を直接的に知りうることが可能」 になる。 もしこれが事実ならば、長らく解けないとされてきた
「他我問題」 に解決の道が拓かれたことになる。 |
この技術を使用すれば、宇宙が 「意識的現象」
なのか、それとも 「物質的現象」 なのかを、解明することができるかもしれないし、「死後の世界」 もまた解明可能なのかもしれない。
この宇宙は主観とは別に客観的に存在しているのか、それともそのような 「客観的な宇宙」 は存在せず、「主観的な宇宙」 をただ客観的な宇宙と錯覚しているのであろうか?
この正誤は判定できない。 なぜなら主観的宇宙が自らの死後もなお存続し続けるのかは自らが亡くなってみなければわからないからである。
同様に客観的な宇宙もまた自らの死後も存続し続けるのかも自らが亡くなってみなければわからない。 自分以外の他者が死んでも客観的な宇宙は存続しているではないかという主張は証明にならない。
なぜなら自分以外の他者が生きている宇宙もまた 「私の主観的な宇宙」 であって、私は他者ではなく、亡くなった他者の主観を直接的に知る方法はないのである。
結局、思考は堂々巡りの末に 「自らが死んでみなければわからない」 という、はなはだ曖昧模糊とした解決策に帰着してしまう。 |
だが前述した量子科学技術研究開発機構が開発した機能的磁気共鳴画像装置で取得した脳の信号からメンタルイメージを復元する新たな技術を使用すれば
「他人の心を直接的に知りうることが可能」 となる。 この宇宙が 「意識的現象」 として存在しているのか、それとも意識に関係なく
「物質的現象」 として存在しているのかを、知ることができる。 さらに宇宙に生き続ける 「魂の意識情報」 を抽出して、「死後の世界」
を現実世界に復元させることができても不思議ではないのである。 |
はたして、人類は 「真理の伝道者」 なのか、それとも
「虚構の推進者」 なのか? 成否は未来に託した 「大いなる賭け」 である。 終局において、宇宙はすべて 「錯覚の産物」 でしたなどとならないことを願うのみである。 |
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