Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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長嶋茂雄の風景〜在りし日の記憶
 2025年6月3日、不世出の野球選手、長嶋茂雄が天国に旅立った。 まさに永久不滅のミスターベースボールとして日本人の記憶にこれからも長く留まり続けていくことであろう。 自著、科学哲学エッセイ 「ペアポール」 の中で 「長嶋は球を打つ」 と題して、私は以下の一文を書いている。
 それは遡る54年前、1971年7月17日、西宮球場で行われた、江夏が9連続奪三振を記録したオールスターゲーム第1戦を観戦したときのことである。 試合前練習の王選手と長嶋選手を見た。 2人の全盛時代であった。 私の位置はバッターボックスからかなり遠くであり、彼らの顔等は判然としない位置であった。 その位置からも王選手はしっかりと区別できる大きな体であり、そのがっしりとした体から練習ピッチャーの投げる球を軽々とライトスタンドに何球も放り込んだ。 次に普通の体形の選手がバッターボックスに立った。 その選手のバッティングフォームはけして美しいとは言えなかったが、そのバラバラのフォームから打ち出された球は鋭いライナーで外野へ飛ぶ。 その内の幾つかは低い飛行曲線でレフトスタンドに入った。 この選手こそ長嶋選手であった。
 ひとことで言うと王選手は努力の人である。 自分のバッティングフォームを確立するために毎日何千回とバットスイングをする。 手のひらはまめだらけ、そのまめがやぶれてもスイングを続ける。 こうして自分のフォームを確立し、その確立したバットの旋回軌跡で球を捉えた。 一方、長嶋選手は勘の人である。 その頃、世の人々はそれを 「動物的な勘」 と呼んだ。 長嶋選手の特徴は球を捉えるセンスにある。 王選手のように確定した旋回軌跡で球を捉えるのではなく、スイングの旋回軌跡は一定しない。 2ストライクまで腰砕けのフォームであっても、3球目をホームランにすることがある。 また時にはボール球を振ってヒットにする。 チャンスの時の強さは抜群で数々の名場面を残した。
 この2人の違いは対照的である。 これは左脳と右脳の違いであり、紙の裏表の違いであり、相補的であり、相対的である。 王選手にはフォームがくるってしまった時のスランプがある。 彼はそれを抜け出すために大変な努力をした。 しかし、長嶋選手にはスランプがない。 野球理論を話させると王選手は論理に則って話す教授のようであり、長嶋選手は意味不明なことを言う職人のようである。
 しかし、野球とは何か ・・? それは 「来た球を打つ」 ことである。 けしてバッティングフォームを完成させることではない。 フォームは目的達成のための手段である。 王選手は手段を確立して目的を達成し、長嶋選手は目的達成のために手段を適宜に選択したのである。 どちらも日本の野球界がもった逸材であり、双璧である。 しかし、現在の野球選手はそのどちらでもない。 野球の目的を忘れているのである。
 およそ人間には 4つのタイプ がある。 第4位は教えられたことも分からず、またそれもできない人、第3位は教えられたことは分かるが、それができない人、第2位は教えられたことが分かり、またそれができる人、第1位は教えられたことは分からないが、それができる人である。 王選手は第2位の人であり、長嶋選手は第1位の人である。 なぜなら第1位の人は宇宙自然法則に則った、どちらかと言えば、犬や猫に近い自然人であるからである。 長嶋選手の 「動物的な勘」 とはこれを表現した言葉であろう。
 現在、王選手も長嶋選手も現役を引退し、それぞれ監督として後進の指導に力を注いでいる。 選手時代そのままに、王監督は厳格な手法をもって臨み、長嶋監督は何を言っているのか選手には意味不明な手法で、ともに優勝という目的に向かって日夜を分かたない研鑽を続けている。 それは現役時代も今も何ら変わることはない。
 今、読み返してみると多分に荒削りの考察に終始していることは否めないが、両者の素質の違いはよく描かれているように思える。 先に逝った長嶋選手の焼香に訪れた王選手は 「ただただ感謝しかない」 と述べた。 その老いた肩には往年のライバルであり畏敬の友でもあった長嶋茂雄に捧げる一抹の寂しさがそこはかとなく漂っていた。 ゆく途を振り仰ぐと、そこには底抜けに明るい若き日の野球小僧の笑顔が太陽のように輝いている。 何かを叫んでいるようである。 耳を澄ませば、「我が黄金の日々は永遠に不滅です」 というあの名セリフであった。 それは躍如たる 「長嶋茂雄の風景」 であった。 もはや 「あっ晴れ」 というしか他にかける言葉もない。

2025.06.05


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