Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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世界でもっとも貧しい大統領かく語りき
 2012年6月20日から22日までの3日間、ブラジル・リオデジャネイロにおいて、地球サミット2012 (国連持続可能な開発会議)が開催された。 188ヵ国3オブザーバーの97名の首脳と多数の閣僚級を含む約3万人が参加。 「持続可能な開発及び貧困根絶の文脈におけるグリーン経済」 と 「持続可能な開発のための制度的枠組み」 をテーマに、政府代表演説を行った。 そのなかで 「世界一貧乏な大統領」 と言われたウルグアイのホセ・ムヒカ大統領は後世にのこる名スピーチで世界に感動を与えた。 以下はそのスピーチの抜粋である。

 会場にお越しの政府や代表のみなさまありがとうございます。 ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。 私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。 国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。 しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。 午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。 私たちの本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問をさせてください。
 ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか? 息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか? 同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人達ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか? それは可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
 なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、無限の消費と発展を求めるこの社会を作ってきたのです。 マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか?
 私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか? このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなの世界を良くしていこう」 というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?
 このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。 その逆です。 我々の前に立つ巨大な危機問題は 「環境危機」 ではありません。 「政治的な危機問題」 なのです。 現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。 逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。 私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。 幸せになるためにこの地球へやってきたのです。 人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。 命よりも高価なものは存在しません。 ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。 消費が世界のモーターとなっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。 消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。 このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。 ということは、10万時間も持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです。 そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。 人がもっと働くため、もっと売るために 「使い捨ての社会」 を続けなければならないのです。 悪循環の中にいることにお気づきでしょうか?
 これは紛れもなく 「政治問題」 です。 この問題を別の解決の道に進めるため、私たち首脳は世界を導かなければなりません。 なにも石器時代に戻れとは言っていません。 マーケットを再びコントロールしなければならないと言っているのです。 私の謙虚な考え方では、これは 「政治問題」 です。
 昔の賢明な方々、エピクロス(古代ギリシャの哲学者)、セネカ(古代ローマの哲学者で皇帝ネロの家庭教師を務めた)、アイマラ民族(南米の先住民族)までこんなことを言っています。
貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ
 これはこの議論にとって文化的な 「キーポイント」 だと思います。 私は国の代表者として、リオ会議の決議や会合に、そういう気持ちで参加しています。
 私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことをわかってほしいのです。 根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。 そして改めて見直さなければならないのは、私たちの 「生活スタイル」 だということです。
 私は環境に恵まれている小さな国の代表です。 私の国には300万人ほどの国民しかいません。 しかし、世界でもっとも美味しい牛が、私の国には1300万頭もいます。 ヤギも800万から1000万頭ほどいます。 私の国は牛肉やミルクの輸出国です。 こんな小さい国なのに領土の80%が農地なのです。 働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。 最近では6時間だけ働く人が増えてきました。 しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をし、実際には更に長く働かなければなりません。 なぜか? 車や、その他色々なものの支払いに追われるからです。 こんな生活を続けていては、身体はリウマチに全身をおかされたがごとく疲弊し、幸福なはずの人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。 そして、自分にこんな質問を投げかけます。
これが人類の運命なのか?
 私の言っていることはとてもシンプルなものです。 発展が幸福の対向にあってはいけないのです。 発展というものは、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。 愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。 幸福が私たちにとってもっとも大切な 「もの」 だからなのです。 環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。  − ありがとうございました −

 ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領はこの演説をきっかけに一躍時の人となり、質素な暮らしぶりでも注目された。 大統領公邸には住まず、首都郊外の古びた平屋に妻と二人暮らし、友達からもらった古い愛車をみずから運転し、庶民と変わらない生活をし、気取らない生き方を貫いた。 そしていつしか尊敬を込めて 「世界で一番貧しい大統領」 と呼ばれるようになったのです。 国のトップになっても、収入の9割を貧困層に寄付。 生活費は毎月1千ドル(現在のレートで15万円)ほどであった。 だが常日頃、「私は少しのモノで満足して生きているが、質素なだけで貧しくはない」 と語っていた。 庭のベンチが 「大統領の応接室」 であった。
 日本訪問に際しての取材では、以下のように語っている。
 ひとつ心配なことがある。 というのは、日本は技術がとても発達した国で、しかも周辺には労働賃金の安い国がたくさんある。 だから日本は経済上の必要から、他国と競争するために、ロボットの仕事を増やさないといけない。 技術も資本もあるから、今後はロボットを大衆化していく最初の国になっていくのだろう。 ただ、それに伴って、これから日本では様々な社会問題が表面化してくるだろう。 いずれ世界のどの先進国も抱えることになる、最先端の問題だ。 確かに、ロボットは素晴らしいよ。 でも、消費はしないんだ。
 日本人はとても親切で、優しくて、礼儀正しかった。 強く印象に残ったのが日本人の勤勉さだ。 これまで世界で一番、勤勉な国民はドイツ人だと思っていたが、私の間違いだった。 日本人が世界一だね。 たとえば、レストランに入ったら、店員がみんな叫びながら働いているんだから。
 京都は素晴らしかった。 日本はあの文化、あの歴史を失ってはいけない。 ただ、京都で泊まったホテルで 「日本人はイカれている」 と思わず叫んでしまった夜がある。 トイレに入ったら、便器のふたが勝手に開いたり閉じたりするんだから。 あんなことのために知恵を絞るなんて、まさに資本主義の競争マニアの仕業だね。 電動歯ブラシも見て驚いた。 なんで、あんなものが必要なんだ? 自分の手を動かして磨けば済む話だろう。 無駄なことにとらわれすぎているように思えたね。 それにあまりにも過度な便利さは 「人間を弱くする」 と思う。 とても長い、独自の歴史と文化を持つ国民なのに、なぜあそこまで西洋化したのだろう。 衣類にしても、建物にしても。 広告のモデルも西洋系だったし。 あらゆる面で西洋的なものを採り入れてしまったように見えた。 そのなかには、いいものもあるが、よくないものもある。 日本には独自の、とても洗練されていて、粗野なところのない、西洋よりよっぽど繊細な文化があるのに。 その歴史が、いまの日本のどこに生きているんだろうかと、つい疑問に思うこともあった。
 トルコ、ドイツ、英国、イタリア、スペイン、ブラジル、メキシコ、米国に行った際にはよく大学を訪れた。 年老いてはいるが、なぜか若者たちとは、うまくいくんだ。 そこで気がついたんだが、どこに行っても、多くの人が幸福について考え始めている。 日本だけではない。 どこの国もそうなんだよ。 豊かな国であればあるほど、幸福について考え、心配し始めている。 南米では、私たちはまだショーウィンドーの前に突っ立って 「ああ、いい商品だなあ」 って間抜け面をしているけれど、すでにたくさんのモノを持っている国々では、たくさん働いて車を買い替えることなんかには、もはや飽きた人が出始めているようだ。 おそらく、自分たちは幸せではない、人生が足早に過ぎ去ってしまっている、と感じているからだと思う。 昔の古い世界では、宗教に安らぎを感じる人もいた。 だが世俗化した現代では、信心がなくなってしまった。
 東京は犯罪は少ないが自殺が多い。 それは日本社会があまりにも競争社会だからだろう。 必死に仕事をするばかりで、ちゃんと生きるための時間が残っていないから。 家族や子どもたちや友人たちとの時間を犠牲にしているからだろう。 働き過ぎなんだよ。 もう少し働く時間を減らし、もう少し家族や友人と過ごす時間を増やしたらどうだろう。 あまりにも仕事に追われているように見える。 人生は一度きりで、すぐに過ぎ去ってしまうんだから。
 2025年5月13日、世界一貧乏な大統領であるとともに、世界一慕われた大統領であったホセ・ムヒカは愛と安らぎの中でひとり天国へ旅立って行った。 享年89歳であった。
 彼の人生を省みるとき、今をときめくアメリカ合衆国大統領、ドナルド・トランプとの対称性を感じるのは私だけではあるまい。 両者は対を成す 「ペアポール」 であって、それは一枚の紙の 「表と裏」 のように対峙し、「光と影」 のようにこの宇宙に漂っている。 「宇宙の理」 は ムヒカ と トランプ のいずれに加担するのであろうか? しかして、「社会の義」 は ムヒカ と トランプ のいずれに加担するのであろうか? 地球の未来はそこにかかっている。 畢竟如何。

2025.05.20


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