自らが他者から評価されたとて、生きる意味にいかほどの違いがあろうか? |
生きるとは 「自らを創る」
ことであって、他者を創ることではない。 生きるにおいて、今日、何かひとつでも創ることができたなら、それで充分である。 自らを創るためには、新たな何かを着想しなければならないが、その着想は自らの想いから生まれたものでなければならない。
「我思うゆえに我あり」 とは、自らの想いが自らの 「存在の原点」 であることを述べている。 だが、我思っても何も浮かばないようであれば、無理に考えなくともよい。
「下手の考え休むに似たり」 は真実である。 大切なことは、「待ち続ける」 ことである。 さすればやがて 「新たな着想」 はやって来る。 |
しかしながら、考えを考えで弄ぶことは自己矛盾であって、やめたほうがいい。
迷路に陥ってしまうが落ちである。 現代人の 「妄念の大半」 はそこに起因する。 かくなる妄念が満ちあふれたものが現代社会の実相であるならば、かくなる妄念によって、世界は崩壊してしまうかもしれない。
回避するには 「原点に回帰」 するより他に道はない。 すべてを 「天のこころ(宇宙のこころ)」 に任すことである。 「止観」 とは、そういうことである。 |
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