先日のことである。 司馬遼太郎が構想に十余年の歳月を費やして執筆した小説
「空海の風景」 の末尾に配した後書きのことが不意に脳裏に甦ってきた。 以下はその抜粋である。
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風がはげしく吹きおこっている。 そのことを、自分の皮膚感覚やまわりの樹木の揺らぎや通りゆくひとびとの衣のひるがえりようや、あるいは風速計でその強さを知ることを顕教的理解であるとすれば、私は、多くのひとびとと同様、まだしもそのほうにむいている。
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密教はまったく異なっている。 認識や知覚をとびこえて風そのものに化(な)ることであり、さらに密教にあっては風そのものですら宇宙の普遍的原理の一現象にすぎない。
もし即身にしてそういう現象に化ってしまうにしても、それはほんのちっぽけな一目的でしかない。 本来、風のもとである宇宙の普遍的原理の胎内に入り、原理そのものに化りはててしまうことを密教は目的としている。
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そういうことで、密教は私などの理解を越えた世界であったし、いまでもむろんそうである。
自分が風や宇宙の原理そのものに化るなどまっぴらであるし、そういうことよりも日常にわずらわされつつ小説でも書いているほうをむろん選ぶ。
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空海は私には遠い存在であったし、その遠さは、彼がかって地球上の住人だったということすら時に感じがたいほどの距離感である。
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この作品は、その意味では筆者自身の期待を綴っていくその経過を書きしるしただけのものであり、書きつつもあるいはついに空海にはめぐりあえぬのではないかと思ったりした。
もし空海の衣のひるがえりのようなものでもわずかに瞥見できればそこで筆をおこうと思った。 だからこの作品はおそらく突如終わってしまうだろうと思い、そのことを期待しつつ書きすすめた。
結局はどうやら、筆者の錯覚かもしれないが、空海の姿が、この稿の最後あたりで垣間見えたような感じがするのだが、読み手からいえばあるいはそれは筆者の幻視だろうということになるかもしれない。
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しかし、それでもいい。 筆者はともかくこの稿を書きおえて、なにやら生あるものの胎内をくぐりぬけてきたような気分も感じている。
筆者にとって、あるいはその気分を得るために書きすすめてきたのかもしれず、ひるがえっていえばその気分も、錯覚にすぎないかもしれない。
そのほうが、本来零であることを望んだ空海らしくていいようにも思える。 (1975.10)
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前段の内容は、あたかも本稿、第1962回〜第1968回
に渡る 「唯識論的物理学」 における物質宇宙から意識宇宙への大転換を俯瞰するかのような感懐を覚える。
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司馬遼太郎がいう仏教における 「顕教的理解」
とはアインシュタインの相対性理論が規定した 「時間と空間で構成された宇宙概念」 であって 「物質宇宙」 に相当する。 他方、「密教的理解」
とは量子もつれが実証した時間と空間に制約されない
「非局所的な宇宙概念」 であって 「意識宇宙」 に相当する。 顕教世界から密教世界への転換とは、かくなる物質世界から意識世界への転換と同意である。
空海に言わせれば、密教の目的とは、認識や知覚をとびこえて風そのものに化ることであり、さらに風そのものですら、宇宙の普遍的原理の一現象にすぎず、もし即身にて、そういう現象に化ってしまうにしても、それはちっぽけな一目的でしかなく、風のもとである
「宇宙の普遍的原理(宇宙の内蔵秩序)」 の胎内に入って、原理(秩序)そのものに化りはててしまうことである。
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司馬遼太郎にとってはそんな世界観は理解を越えたものであったし、自らが風や宇宙の原理そのものに化るなどまっぴらであると感じたのである。
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その思いは、私が時間と空間が消失してしまった非局所的世界をどのように処したらいいのかを逡巡した感懐と同じものである。
さらに宇宙の普遍的原理の胎内に入って、原理そのものに化りはててしまうという密教世界の構造は、Pairpole宇宙モデルが行き着いた
「宇宙とは仕組みという概念」
であって、大きさという概念ではない、大きさという空間概念がなきところに 「宇宙の果という概念」 はもとから存在しないとした宇宙構造に等価的に同質である。
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後段の内容は、司馬遼太郎が抱いた空海への憧憬がいかなるものであったのかを描いたものである。
幼き日の瞳に超人のごとく屹立していた 「弘法大師空海の実像」 を求めて彷徨した遠き道程とその邂逅への風景である。 その中で司馬遼太郎は、あるいはついに空海にはめぐりあえぬのではないかと思ったり、空海の衣のひるがえりのようなものでもわずかに瞥見できればそこで筆をおこうと思ったりした。
錯覚かもしれないが 「空海の姿」 をこの稿の最後あたりで垣間見えたような感じがするのだ。 だがそれもまた筆者の幻視かもしれないと胸中を吐露している。
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ともあれ、空海の足跡を追い求めてきた司馬遼太郎はついに見上げる坂の上に一朶の雲を背景にして佇立する空海その人を自らの視界にとらえたのである。
やがて渡る風に衣をひるがえしていた空海は振り返りその素顔を司馬遼太郎に向けた。 その光景が 「空海の風景」 に昇華したのはその刹那であったに違いない。
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以下の記載は私が挑んだ知的冒険の旅の中で描かれた
「幼き日の憧憬と邂逅への風景」 である。
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真理とは、どれもが真理の部分であって全体ではない。
真理に到達しようとすれば、部分を統合しなければならない。 それらが統合されたとき 「真理の女神」 は一瞬間こちらを振り向いて素顔でにっこりと微笑んでくれるのである。
それがいつになるのかは背を向けている女神本人に聞いてみなければわからないが、「彼女の気分しだい」 というところが妥当な予測であろう。
ともあれ、遥かな旅路の空の下、「いつかどこかで」 その素顔の断片らしきものにでもめぐり逢うことができれば幸甚これに勝るものはないであろう。
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私は現在までずっと開拓者の道を歩んできた。 それはつらく困難な道ではあったが感動と喜びの花畑に満ちた道でもあった。
その開拓者魂の真骨頂がこの著作であろう。 一介の技術者が挑むにはあまりに大胆で身の程を知らぬ暴挙、一匹の蟻が巨大な象に挑む姿である。
だが 「一寸の虫にも五分の魂」 の例えのごとく、我、開拓者魂、死しても止まずの心意気は気宇壮大である。 これを書き終えた今、私の精神は充実しており、また限りなく静かでもある。
それはかって幼き日に見上げた寒風が吹き抜け雲一点ない碧空の蕭条たる風景である。
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それらの風景は司馬遼太郎が描いた空海への憧憬と邂逅への風景と限りなく近似する。
彷徨の旅の終わりとは、かくこのようなものなのかもしれない。
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