この世を 「必然の世界」 として生きるのか?
それとも 「偶然の世界」 として生きるのか? かかる二者択一は、人生を大きく変える。 変えるどころか決定する。 必然であれば、世界は予測可能であって、備えて生きることができる。
他方、偶然であれば予測不能であって、備えて生きることができない。 その妥協策として必然の世界と偶然の世界を中和させる 「確率」
という生き方が発生するのは自然の流れである。 現代人の多くはこの生き方を使って生きている。 それは天気予報の如くに、あたることもあるがはずれることもあるが贅沢は言えない。
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科学が描く必然の世界は、ニュートンの運動法則やアインシュタインの相対性理論で語られる世界であり、科学が描く偶然の世界は、ボーアの量子論やシュレジンガーの波動理論で語られる世界である。
前者は決定論的世界であり、後者は非決定論的世界である。
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ともかくも、世界の趨勢は 「こうである」 とする予測可能な必然の世界から、「そうでないかもしれない」
とする予測不能な偶然の世界へ移行しようとしている。 予測不能な偶然に支配された非決定論的世界は、たとえて言えば 「宝くじ的な確率論が適用される世界」
である。 さらに言えば 「何が起きても不思議ではない世界」 である。
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そうであれば、 「決断を逡巡」 し 「忖度に明け暮れる」
現代人の処世の日々は、責められるものではない。 残念ではあるが、現代人が 「必然と偶然の狭間」 に生きている以上、それは無理からぬことであろう。
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