情報化時代の到来とともに始まった 「世界の不確実性」
はさらに拡大の一途をたどって進行中である。 根底にあるのは急激な 「エントロピの増大」 である。
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エントロピとは 「乱雑さ」 を数値化した 「曖昧量」
を意味する。 エントロピ増大の法則とは、宇宙が秩序あるものから秩序なきものへと移行するという 「宇宙の大原則」 のことである。
この移行は非可逆的であって、逆方向には移行しない。 簡単に説明すると、物事は放っておくと時間とともに乱雑で無秩序な状態になるという法則である。
そのエントロピの増大にはエネルギを必要としないが、エントロピを減少させるにはエネルギを必要とする。 たとえて言えば、部屋は放っておけば乱雑なものへと移行するが、整理整頓したものへと移行するためには何らか手を加えないと移行しない。
エントロピには、物質やエネルギーの 「散逸」、「無秩序さ」、「乱雑さ」、「混沌さ」、「一様化」、「不規則さ」、「無変化」、「質の低下」、「崩壊」
・・ 等々。 多くの注釈が与えられてはいるが、エントロピほどつかみ切れない 「不可解な概念」 はないと言われている。 それは私も同様であって、いまだになぜゆえにエントロピが増大し続けるのかに対する確たる答えを出せずにいる。
以下の記載は、本知的冒険エッセイの中から抽出して時系列で編集したその知的探求の経過である。
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以下の記載は 「社会学的インフレーション理論」
からの抜粋である。
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物理学がいうところの 「インフレーション理論」
は宇宙が誕生直後、光速を超えるスピードで急激な膨張を起こしたとする理論である。 我々が住む宇宙が 「平坦」 で、どこでも 「一様」
であることの理由は、この理論を使って説明される。 現代社会を観察すると、さまざまな社会現象が急激に膨張しているように見える。 これらの状況は
「社会学的インフレーション理論」 成立の可能性を暗示する。 両者のインフレーションの違いは、物理学的インフレーションが 「物質世界を基盤」
にしているのに対し、社会学的インフレーションは 「意識世界を基盤」 にしていることである。 近年における意識世界の急激な膨張が、情報技術の急速な発展に起因していることは異論なきところであろう。
したがって、社会学的インフレーション理論での膨張係数(膨張率)は、おそらく情報化技術の根源となっているコンピュータの演算速度やネット回線のデータ転送速度の上昇係数(上昇率)によって計算されることになるにちがいない。
ではこの意識的インフレーションが社会に何をもたらすのであろうか? 物質的インフレーションとの相関で考えれば、それは 「平坦で、どこでも一様な社会の出現」
ということになるのであろう。 わかりやすく言えば 「均等で、中立で、無色で、無個性で、無気質で」、よりわかりやすく言えば 「どこを切っても同じ顔があらわれる金太郎飴のような」、ひと言で言えば
「何の変哲もない変わりばえのしない」 社会である。 このインフレーションが我々人間にとって、はたして幸せなのかどうかは熟慮を要する。
ちなみに現代物理学が予測する 「宇宙の終末」 とは、限りなく膨張する中で温度は低下していき、やがてエネルギ密度は均等となり、「熱的死」
と呼ばれる、動くものなく物音ひとつしない 「静かな暗闇の世界」 である。 同様に社会学的インフレーション理論が予測する 「社会の終末」
が、戯言(たわごと)に戯言を限りなく重ねていくうちに大戯言となって飽和し、やがては何を言っても意味をもたない、「心的死」 と呼ばれる、虚無的で無感動な
「静かな暗闇の世界」 であるなどとは想像したくない。 (2013.03.05)
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以下の記載は 「社会学的不確定性原理」 からの抜粋である。
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量子世界を描いたハイゼンベルクの 「不確定性原理」
とは、量子の 「位置」 と 「運動量」 の2つを同時に高い精度で確定することはできず、片方の精度を上げようとすれば、もう片方の精度が下がってしまうという原理である。
社会学的インフレーション理論では、コンピュータをもととした情報化技術の飛躍的進歩が意識社会を急激に膨張させることについて考えた。
この意識社会の急激な膨張変化はさまざまな社会的現象(事件)を頻発させるが、今では発生した現象の意味をその時点で正確に確定することが難しくなっている。
事態の変化が速すぎて、とらえた情報がその時点ですでに陳腐化してしまっているのである。 テレビのワイドショー番組(現在では情報番組と呼ぶのであろうか?)でさえ、めまぐるしく変化する情報について行くのがやっとの状況である。
社会はニュートンが描いた絶対的な世界観からアインシュタインの相対的な世界観を経て、今やハイゼンベルグが描いた 「不確定性原理が支配する量子論的な世界観」
に移行しているように見える。 (2013.09.03)
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以下の記載は 「自己組織化〜混沌からの秩序」
からの抜粋である。
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社会は依然として先への道筋が見えず混沌としたままである。
さまざまな経済学的理由は考えられるが、根源にあるのは物理学的な 「エントロピの増大」 である。 文明が発展することはそのままエントロピの急激な増大を意味する。
「エントロピ増大の法則」 とは、何もしなくてもエントロピは増大するというものである。 この非可逆性は時間の非可逆性と対を成している。
どちらも逆方向には進まない。 つまり、時間は過去には進まないし、エントロピもまた減少には進まない。 エントロピは、別名「 曖昧量」
とも呼ばれる。 この世の万物事象は時間経過とともにカオス化(混沌化)し、ますます曖昧に、複雑に、でたらめになっていく。 昨今の世相を眺めれば、その様相は歴然として観察されるであろう。
かくなる様相が宇宙法則に則っているのだから 「しかたがない」 と言われても、おいそれとは受け入れがたい。 ではどうすればよいのか?
期待すべきは、物理学者、イリヤ・プリゴジンが提唱した非平衡熱力学の散逸構造理論(自己組織化)である。 プリゴジンはエントロピが増大し、混沌とカオスが極限まで進行して臨界点に達すると
「自己組織化」 と呼ばれる再結晶化が起きることを発見した。 この理論により、1977年、ノーベル化学賞を受賞している。 それは生物学における
「突然変異」 のような現象である。 例えていえば、溶液にさまざまな薬品を混ぜていくうちに溶液の濁りが突然に消えて無色透明になるような現象(混沌からの秩序)である。
混乱も極まれば秩序が発生するのである。 願わくは、この法則によって雨降って地固まるがごとくに 「でたらめな社会」 がきちんと結晶化することではあるのだが
・・ どうであろう。 (2014.07.28)
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以下の記載は 「バタフライ効果」 からの抜粋である。
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「永遠の時間を想定すれば、あらゆるものはいずれは出発点に戻り同じことを繰返す」
ことを数学をもって証明してみせたフランスの数理物理学者、アンリ・ポアンカレ(1854年〜1912年)はまた 「初期条件のわずかな差(誤差)が、最終的な現象ではきわめて大きな差(誤差)を発生させ、予測を不可能にしてしまう」
ことも指摘した。 その指摘はごく小さな原因がとてつもなく大きな予測もできない結果につながってしまう複雑系の世界を扱ったカオス理論における
「バタフライ効果」 と相似する。 バタフライ効果とは、アメリカのアイオワ州を飛び回る蝶々の羽ばたきが、遥か彼方のインドネシアで発生する異常気象現象の引き金になりえるとするところから来ている。
これらの複雑系の解析に絶大な力を発揮するのがコンピュータである。 人類が発明した最も偉大な道具はもっかのところ 「顕微鏡」、「望遠鏡」、「コンピュータ」
の3つであると言われている。 顕微鏡は肉眼では見えない微小なミクロの宇宙を、望遠鏡は肉眼では見えない巨大なマクロの宇宙をかいま見せてくれた。
そしてコンピュータは人間の知能をもってしては認識できない混沌とした 「カオス宇宙」 をかいま見せてくれる。 顕微鏡、望遠鏡の性能向上は著しいが、コンピュータの性能向上はさらに著しく、このままいくと
2025年 には人間の脳をスーパーコンピュータがシミュレーションできるようになるという。 最近まで世界最速のスーパーコンピュータであった日本の
「京」 は浮動小数点数演算を1秒あたり1京回(10の16乗)おこなう処理能力に由来する。 だがそれほどの計算能力をもってしても、今日の気象変動予測はままならず、明日の経済変動予測もままならない。
それはまた初期条件のわずかな誤差がかくのごとく予測不能な現象を引き起こすことの証左でもある。 おちおちと 「くしゃみ」 もできないというのが、この宇宙の現実なのである。
(2015.03.16)
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以下の記載は 「生まれいずる混沌」 からの抜粋である。
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この宇宙が複雑で曖昧で混沌としたカオス状態であることは
「エントロピの増大」 に帰因する。 エントロピの増大とは熱力学の基本法則であり、時間と同様に非可逆性をもち、時間が過去に進まないように、エントロピもまた減少には進まない。
つまり、時間が進行すれば、ともなってエントロピもまた増大する。 エントロピは別名 「曖昧量」 とも呼ばれる。 エントロピが増大することは、この曖昧量が増加することであり、この世の万物事象は時間経過とともにカオス化(混沌化)し、ますます曖昧に、複雑に、でたらめになっていくことを示している。
例えて言えば、蟻が詰まった缶の蓋を開けて蟻を外に出すと、その蟻を収容するためにはさらなる大きな缶を必要とするというような構図であり、東西冷戦で地球上が混乱していた時代、冷戦が終われば混乱が収束するだろうと誰しも思っていたが、冷戦が終結してみれば、混乱が収束するどころか問題はさらに複雑化して混乱が拡大していくような構図である。
つまり、熱的反応が進行するごとにエントロピは増大していく。 簡潔に表現すれば 「問題の解決は新たな混乱の始まり」 ということである。
エントロピ増大を抑制するためには 「缶の蓋を開けなければいい」 のであるが、原始時代であればともかく現代は情報化時代の只中である。
いくら止めてみても、缶の蓋を開けてしまう人にはことかかない。 かくしてこの世はますます複雑に、曖昧に、でたらめに、カオス化していくことになる。
その速度はコンピュータの出現で急速に上昇した。 カオス宇宙にコンピュータが挑んでいる姿はどこか 「滑稽(こっけい)」 でもある。
自らが増大させたカオス世界を解明するためにコンピュータは自らの能力を応分に増強して挑むのだが、その増強されたコンピュータの能力が、さらにカオス世界を増大させ複雑化させてしまうのである。
自己矛盾であっていくらやってもきりがない。 様相は将棋の 「千日手」 のようにエンドレスである。 (2015.03.17)
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事態の無秩序化への流れに反するかのように、ロシア出身のベルギーの化学者、イリヤ・プリゴジン(1917年〜2003年)は
「混沌からの秩序」 を著し、散逸構造理論(自己組織化)の研究でノーベル賞を受賞した。 散逸系とは決して均衡状態にはならずにさまざまな状態の間をいったりきたりする化学物質の異常な混合状態をいうのだが、プリゴジンはエントロピが増大して混沌とカオスが極限まで進行して臨界点に達すると
「自己組織化」 と呼ばれる再結晶化が起きることを発見したのである。 曰く、「混沌からの秩序」 である。 であれば、絶対とされる
「エントロピ増大の法則」 は崩壊したのかということになるが、そうではない。 たまたま 「ある部屋」 の乱雑が整頓されたからといって、「別の部屋」
の乱雑さがそれ以上に乱雑になっていくのであれば、それら全てを合計したエントロピは増大してしまう。 エントロピ増大の法則とは宇宙全域のエントロピの総量が増大するものであって、局所におけるエントロピの胎動を論じているものではないからである。
それを証するかのようにプリゴジン自身は 「時間はひとつの幻覚に過ぎない」 とするアインシュタインや 「時間の不確定性を信じる」
量子論学派の重鎮の見解に反するかのように 「時間の矢の非可逆性」 を絶対なものとして信じて疑わない。 さらに 「カオス」、「複雑系」、「不確定性」
等々の概念を社会の一般人が受け入れたのは社会そのものが 「流動的」 になってきているからに他ならないと主張した。 そしてプリゴジンはかかる状況を以下のように要約した。
たとえば信心深いカトリック教徒も、その両親や祖父母たちに比べればたぶん今ではそれほど深く信じていないであろう。 私たちはもう以前のようにマルキシズムや自由主義にこだわってはいないし古典的な科学をもまた信じてはいない。
同じことが 「芸術」、「音楽」、「文学」 等々についても言える。 社会は多様化した人生観や世界観を受け入れることを学んだのだ、そして人類は
「確信の終焉」 を迎えたのだ。 (2019.12.03)
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以下の記載は 「カオス社会の構造理論〜その物理学的解析」
からの抜粋である。
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コロナ禍に端を発する混乱は社会をカオスに導いてしまった。
物理学の 「カオス理論」 が論ずる 「複雑系」 が支配する宇宙である。 この論の根底には熱力学の 「エントロピ増大の法則」 が横たわっている。
エントロピとはある種の 「曖昧量」 であって、エントロピ増大の法則とは時間の矢に従ってエントロピーが増大していくことを述べている。
つまり、昨日より今日の方が事態はより曖昧になっている。 情報化時代となって、次々に情報が更新されることで時間の速度が上昇していくのに比例してエントロピ増大の速度も急速に上昇する。
伴って、日々の曖昧量の度合いもまた急速に増大する。 情報化時代における時間速度の上昇には、宇宙を記述する根本的な理論である 「シュレジンガーの波動理論」
で使用される波動方程式に組み込まれた 「波動関数」 に深く関わっている。 詳細は割愛するが、波動関数は観測によって収縮する。 収縮とはものごとを観測する度に
「新たな宇宙が発生する」 ことを意味している。 つまり、情報化社会では新たな情報が更新(観測)される度に、次々に新たな宇宙が発生する。
言うなれば、時間の速度とは、この 「新たな宇宙の発生速度」 のことを意味している。 エントロピの増大が社会をカオス化する原動力であるとして、そのカオス化を少しでも低減させるにはいかなる手立てがあるのであろうか?
あたりまえのことであるが、上記した 「物理学的解析」 で論じた内容に則って、その原動力であるエントロピの増大を減少させればよい。
そのためにはエントロピー増大の原因となっている時間の速度を低下させればよい。 さらに、その時間の速度を低下させるためには、その原因となっている新たな情報の更新(観測)を抑制して、新たな宇宙の発生を減少させればよい。
手立てを平易に表現すれば、新たな情報更新(観測)の源になっている 「テレビ」 や 「ネット」 などの情報器機(計器)をできるだけ観ないようにすればよい。
さすれば、少なくとも 「あなたの生活圏の周辺宇宙」 では、新たな宇宙の発生件数は抑制され、伴って時間の速度も低下し、結果として
「カオス化の速度は低減する」 であろう。 うそのようなほんとうの話である。 (2020.12.04)
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以上。 情報化時代の到来とともに始まった急激なエントロピ増大に帰因する
「世界の不確実性」 について、さまざまな視点から概観してきたが、主題で掲げたエントロピにつきまとう 「不可解な謎」 である 「なぜゆえにエントロピは増大し続けるのか?」
という問いは解消されたのであろうか?
着目すべきは、「エントロピの増大にはエネルギを必要としないが、エントロピを減少させるにはエネルギを必要とする」 という特異の性質についてである。
ここで、私の意識跳躍をもって 「知的冒険」 を試みると、以下のような仮説に行き着く。
エネルギを数式化したものとしては、相対性理論を構築したアインシュタインの 「E=mc2」 がある。 原爆開発の基礎となった悪魔の方程式と呼ばれる数式である。
この数式とエントロピの増大の法則とを繋げる因果は見いだせない。 であれば、エントロピの増大の法則とは、物質世界での現象を述べたものではなく、意識世界の現象を述べたものではないかという仮説の想定である。
意識世界の現象である 「エントロピの増大にエネルギが必要ない」 ことは、むしろ当然のことである。 逆に 「エントロピの減少にエネルギが必要である」
こともまた、当然のことである。 エントロピを減少させる 「雑然とした部屋を整理整頓する」 ことは、物質世界の現象であって、その労力にエネルギが消費されることは、当然のことである。
もしこの仮説が正しければ 「不確実性社会の行き着く先」 に 「一筋の光明」 が見えてくる。 曰く。 善も悪も想い方次第であろうし、希望も絶望もまた想い方次第であろう。
繁栄も衰退も想い方次第であろうし、禍も福もまた想い方次第であろうということである。
意識世界では、何をどう想おうが自由であって、物質世界でのように、時間や空間の拘束は存在しない。 だが意識世界(仮想世界)では、何をどう想おうが自由であって、エネルギが消費されないからといって、想ったことを物質世界(現実世界)で実現しようとすれば、時間と空間の拘束とエネルギが消費されることを忘れてはならない。
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だが情報化社会の根本が、我々自身が 「何をどう想うか」
にあることを自覚するだけでも 「大いなる救い」 となろう。 「不確実性社会の命運」 はそこにかかっているのであるからして。
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