時間が流れるものであり、その流れが 「永遠(無限)」
であるとすれば、未来に向かって永遠の時間が 「存在する」 とともに、過去においても永遠の時間が 「存在した」 ことになる。 フランスの数物理学者、ポアンカレは、もし無限の時間が存在するとすれば、あらゆる物事は
「繰り返す」 ことを数学的に証明した。 有名な 「ポアンカレ循環」 である。 ビリヤードの球を減速させる摩擦抵抗等がまったく作用しない状態を仮定すれば、ビリヤード台上で運動する複雑な球の運動状況はいずれは初期条件に戻り、その後は同じ運動を繰り返すことになる。
したがって、過去に無限の時間が存在したとすれば、よく言われるように神が昼寝でもしていない限り、この世のすべての出来事は、とうに何回か(無限の回数)同じことを繰り返したことになる。
つまり、この世で起きるべき出来事は、すべて 「すでに起きてしまっている」 ということである。 以上からすれば、今の今という 「現在」
は、この世の生々流転の 「出発点」 であるとともに 「終着点」 でもある。 また、今の今という 「現在」 は、この世の諸事相の
「原因」 であるとともに 「結果」 でもある。 さらに、今の今という 「現在」 は、この世が 「進歩発展」 した風景であるとともに、「退歩衰退」
した風景でもある。 出発点は終着点でもあり、終着点は出発点でもある。 完成は未完成でもあり、未完成は完成でもある。 繁栄は衰退でもあり、衰退は繁栄でもある。
かかる思考は終局において、「生は死であり、死は生である」 とする 「究極の帰結」 に至る。
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以下の 「太始と太終の闇」 と題された偈は、空海の生涯を代表する大作となった
「秘密曼荼羅十住心論」 をみずからが要約した 「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」 の序文、最終行に配されている。
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三界の狂人は 狂せることを知らず
四生の盲者は 盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れて 生の始めに暗く
死に死に死に死んで 死の終わりに冥し
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秘蔵宝鑰を書き終えて5年後、空海は62歳で高野山に入定(入滅)している。
自らの入定に先だち 「私は兜率天(とそつてん)へのぼり弥勒菩薩の御前に参るであろう、そして56億7000万年後、私は必ず弥勒菩薩とともに下生する」
と弟子たちに遺告した。 弥勒菩薩とは、釈迦の弟子で、死後、天上の兜率天に生まれ、釈迦の滅後、56億7000万年後に再び人間世界に下生し、出家修道して悟りを開き、竜華樹の下で三度の説法を行い、釈迦滅後の人々を救うといわれている菩薩である。
空海は若き日より兜率天の弥勒菩薩のもとへ行くことが生涯の目標であったのである。
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これらの史実を省みれば、あるいは空海は 「生は死であり、死は生である」
とする 「無限循環の理」 を悟っていたのかもしれない。 でなければ自らの死をまえにして56億7000万年後に再びこの世に戻って来て説法をするなどという遺告をのこすはずはないのである。
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世界は今、アメリカ大統領選でトランプ氏が大差で勝利したことで
「今後の世界がどうなるのか」 と未知なる明日への不安で大騒ぎをしている。 だがそれは 「過去においてすでに何度も繰り返された出来事」
であって、それもこれも諸事相が 「進歩発展した風景」 であるとともに、「退歩衰退した風景」 でもある。 とある結果は次の原因となって巡り、その循環は無限に尽きることはない。
そこに不自然さはすこしも存在しないのである。
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