ものごとを為すための 「思想はより大きく」、「構造はより小さく」
が最適である。 思想は大きくても維持するための管理費や人件費はかからないが、構造は大きくなるに比例して維持するための管理費や人件費は増大する。
理由は思想は 「意識」 に由来し、構造は 「物質」 に由来するからに他ならない。 思想に必要な空間は 「方丈(1丈四方の面積)」
で事足りるが、思想に見合った構造ともなれば、必要な空間は方丈では事足らない。 もっとも方丈記をのこした鴨長明ともなれば、構造においても方丈で充分に事足りたのであろうが、現代社会ではそうもいくまい。
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鴨長明の 「方丈記」 の序文は次のように始まる。
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。 世の中にある人と住家と、またかくの如し。
玉敷の都の中に、棟を竝べ甍を爭へる、尊き卑しき人の住居は、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。
或は去年破れて今年は造り、あるは大家滅びて小家となる。 住む人もこれにおなじ。 處もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。
朝に死し、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。 知らず、生れ死ぬる人、何方より來りて、何方へか去る。 また知らず、假の宿り、誰がために心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。
その主人と住家と、無常を爭ひ去るさま、いはば朝顔の露に異ならず。 或は露落ちて花殘れり。 殘るといへども朝日に枯れぬ。 或は花は萎みて露なほ消えず。
消えずといへどもゆふべを待つことなし。 自らの外に存在する現象世界はかくのごとく生々流転して瞬時も止まることはない。 依って、「理想郷」
を外なる現象世界に求めても得ることはできない。 望む 「理想郷」 は自らの内に存在するのである。
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長明が生きたのは今を遡る 800年程も前、鎌倉時代のことである。
晩年の長明は京の郊外に位置する日野山(京都市伏見区日野)に一丈四方(方丈)の庵をむすび隠棲、その小庵で当時の世相を観察して書き記した。
表題の 「方丈記」 とは、自らが名づけたものである。 無常観の文学とも、また乱世をいかに生きるかという人生論ともされる。 方丈記が書かれた時代は、安元
3年(1177年)の都の火災、治承 4年(1180年)の都で発生した竜巻、その直後の福原京遷都、養和年間(1181年〜1182年)の飢饉、元暦
2年(1185年)に都を襲った大地震等々と災害が頻発した時代であった。 方丈記に流れる無常観とはこれらに帰因してのものであろう。
それはまた、度重なる自然災害(地震、風水害)やコロナ禍に喘ぐ現代日本の様相と相似している。 日常性の中に理想郷を求める構図は今も昔も異ならないようである。
世界はまさに彗星のごとく、遠大な周期を描いて回帰してくる。
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鴨長明が描いた世界は現代社会そのものである。
温故知新。 今こそ 「方丈の思想」 への回帰が必要なときである。 しかして、目指すは 「思想は大きく、構造は小さく」 である。
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