日本人が 「世に迎合して生きる」 ようになったのは、いつの頃からであろう。
記憶を遡れば、あるいはそれは、子供から大人まで勝利を信じて疑わなかった先の 「大戦(太平洋戦争」 に敗戦してからのことではなかったか。
揺るぎない信念で始めた戦で完膚なきまでに叩きのめされたことで、自らを信じられなくなってしまったことによる反作用が 「世に迎合して生きる」
という 「他人任せの判断基準」 をもたらしたのではあるまいか? 言うなれば、それは 「絶対的基準から相対的基準へのシフト」 であって、その様相は、ベストエッセイセレクション
「宇宙の天秤と人倫の天秤」
に詳しい。
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以来、多くの日本人は自信喪失の状態に陥ってしまっていて、いまだそこから抜け出すことができていないかのようである。
確かに判断基準を他者に預けてしまえば、自らの責任を問われることはないであろう。 だがそれでは、「自己実現の達成」 は永遠に不可能である。
今、求められる人間像とは、「世に迎合しない者」 である。 その生き方とは、「尊敬を望まず、称賛を求めず、しかして、自らの道をゆく」
である。
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