アインシュタインの偉大さは、隠されていた 「宇宙の秘密」
を解き明かしたことである。 その秘密とは E=mc2 という数式で表された 「エネルギ」 と 「物質」 と
「光速度」 に関するものである。 アインシュタインは、どのようにしてこの秘密の解明へのアプローチ方法を見いだしたのか? 探求すべきは
「そのこと」 である。
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英国の物理学者、デビット・ボームは、1992年8月、ロンドンの自宅で行われたインタビューに答えて以下のように語っている。
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物理的な現象の背後には、常により深遠な隠された秩序が存在する。
ボームはこれを 「内に秘められた秩序」 と呼んだ。 この内に秘められた秩序を深く理解するためには、科学者は以前の仕組みについて幾つかの基本的な仮説を捨てる必要があるとボームは言う。
「秩序とか構造といったような基本的概念が知らず知らずのうちに、私たちの思考を縛りつけてしまっている。 新しい種類の理論には、新しい種類の秩序が必要になってくる。
だが、従来の基本的な概念は依然として座標によって記述される機械論的な秩序なのだ」 とボームは論じた。 そして、科学者が自然のすべての現象を唯一の(超ひも理論のような)現象にまとめあげて、自らの活動に終止符を打つ可能性は否定した。
「私はこれには限界がないと考えている。 人々は万有を説明する理論を話題にするが、それはひとつの仮説であって、根拠のないものだ、それぞれのレベルに外見上のものとその外見を説明する他の本質が存在する。
しかし、それから別のレベルへ移ると、本質や外見は役割を交換してしまう。 終わりなんてないのです。 私たちの知識の本質はまさにそういうものです。
万物の背後に存在するものは未知で、思考によって把握できるものではないのです」。
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ボームにとって、科学は 「無限に続くもの」 だった。
現代の物理学者は自然の力が現実の本質だと思っている。 「しかし、なぜ自然の力があるのか? 自然の力はそれがわかってこそ本質と言えるのだ。
原子は窮極の本質ではなかった。 それならば、なぜ力が本質でなければならないのか?」 現代の物理学者の最終理論についての信念は単なる自己達成的なものでしかない。
最終理論は真の疑問を避けることだ。 「もしあなたが魚を水槽に入れて、その中にガラスの障壁を置いたら、魚はその障壁に近づかないようになるだろう。
そして、ガラスの障壁を取り外しても魚は依然としてその障壁のあった場所を避けて、世界全体がそういうものだと思ってしまうだろう」。
「同じように、これが終わりだとするあなたの考え方が、さらに深く物を見る障壁になってしまうんだ」。 「私たちは何かの外見でないような最終的な本質を手に入れることは決してないだろう」
と言った。 今後、科学は全く予想もされない方向に進んでいくことは確かであるとボームは言った。 彼はこれからの科学者は現実をモデル化するに際し、数学にはあまり頼らないで隠喩や類比を新たな拠り所にするようになるであろうと予測した。
他の多くの科学者が夢追い人のように、ボームも科学と芸術がいつの日か融合するだろうと期待していた。 芸術が単にその作品だけではなく
「創作の姿勢、つまり芸術的な精神」 から成り立っているように、科学も知識の集積だけでなく、知覚の新鮮な様式の創造からも成り立っているのだ。
「今までとは違うように理解し、考える能力のほうが、知識よりずっと大切なものだ」 と言った。 ボームは最後にもう一度、最終的な知識を得ることは難しいことを伝えるように、「知られているものには、すべて、おのずから限界がある。
仮に、限界がないと考えても、限界があるという考えとそう違いがないことに気づくべきだ。 無限には有限が含まれなければならないのだ。
創造の過程では、限界がないものから限界があるものが生じると言わなければならない。 それゆえに私たちはどこまで進んでも限界はないと言いきれるのだ」。
ボームは科学と人生の 「遊び」 の重要性を指摘していたが、真実の探求はまさに恐ろしく困難な、しかしどうしても必要なことだったのである。
ボームはいかなる真実も、最初は不思議に思えるが、結局は、絶対的な真理は表そうとはせず、それを隠そうとして、活気のないものになってしまうことを充分に知っていたがゆえに、あえて
「現実を知ることはできない」 と主張したのであろう。
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このインタビューを遺言とするかのように、この2ヶ月後、不世出の科学者と讃えられたデビット・ボームは、この世での探求生活に終止符をうって、黄泉の世界へと旅立っていった。
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同じ英国の物理学者、ロジャー・ペンローズ(1931年〜)は、代表作
「皇帝の新しい心」 の中で 「統一理論のあるべき姿がいかなる思考から生まれるのか」 という従来の物理学にはなかった 「アプローチ方法の違い」
について述べている。
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彼は自他共に認めるプラトン主義者であり、科学者は真理を
「発明」するのではなく、すでにあるものを 「発見」 するのだと考えている。 真理には 「美しさ」、「正しさ」、「明快さ」 を感じさせる
「何か」 が備わっているものであって、統一理論に最も近接するといわれている超ひも理論には、その 「何か」 が欠けているというのである。
確かに超ひも理論は量子論と相対論を数学的には矛盾なく説明してくれるが、現実空間の中で実験できるものでもなく、そもそも10次元のミクロのひもの振動が何を意味しているのかも不明である。
ペンローズは超ひも理論は、物理学者が 「発明」 したしろものだと言いたいのであろう。 ペンローズの言う 「統一理論のあるべき姿はいかなる思考から生まれるのか」
という従来の物理学にはなかったアプローチ方法は、まさにデビット・ボームの思考法を述べている。 今後の物理学は現実をモデル化するに際し、数学にはあまり頼らないで隠喩や類比を新たな拠り所にするようになるであろうと予測したボームの方向性を、ペンローズが体現しているかのようである。
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昨今、話題を集めている人工知能は、いかなるアプローチ方法を用いてかかる宇宙の秘密の解明に挑むのであろうか?
デビット・ボームやロジャー・ペンローズが示すアプローチ方法は、人工知能が得意とする 「ロジック的手法」 とは対極の 「非ロジック的手法」
である。 果たしてその結果は ・・ 神のみぞ知るところであろう。 神は機械に加担するのか? それとも人間に加担するのか? 問いの選択は、遂には究極に至る。
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