気分は時と場所に応じてころころと変わる。 「気分で生きる時代」
とは、言うなれば考えや行動がころころと変わる時代ということである。 不確実性の時代であってみれば、それもまた妥当な生き方といえるのかもしれないが、問題はころころと変わる気分としての喜怒哀楽の変化に、人間としての精神がついていけるかどうかである。
よほどの精神力の持ち主であればともかく、並の精神力では 「心神耗弱」 に陥ってしまうは必定である。 「単純な楽観主義」 などと喜んではいられないのである。
気分で生きる生き方とは、簡単に思えて実は遥かに難しい生き方なのである。 喩えて言えば、意識の大峡谷に架けられた吊り橋を強風にあおられながら渡っていくような危うさである。
あやふやな気分に頼って生きるとは、そういうことである。
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文豪、夏目漱石は小説 「草枕」 の中で、かくなる心境を
「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ とかく人の世は住みにくい」 と書いている。 気分で生きる時代の実情を描いて妙である。
しかり、ゆく道は 「楽観と悲観の狭間」 に開削されているのである。
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