社会世相は不機嫌な時代をもたらし、人々の心をいらだたせ、不寛容な精神が浸透しつつある。
最近のアンケート調査によれば、「生活が困窮した人を救済しなくともよい」 とする意見のもちぬしは、ヨーロッパのドイツ、フランス、英国等で7〜8%、日本では38%という。
ちなみに米国は20数パーセントである。 日本はいつから経済的合理性だけで価値判断するような社会になってしまったのか? このような社会では、仕事がある人が
「立派な人」 であり、ない人は 「駄目な人」 である。 その評価に能力はさして加味されない。 加味されるのは、かってのような氏素性であり、学歴であり、コネであり
・・ 等々である。 これら諸相の直接的な原因は、成長を続けてきた経済の行きづまりであるが、その根底には開拓すべき 「新たな地平」
が見つからないという 「精神的閉塞感」 が横たわっている。 開拓すべき地平がなく、経済成長が見込めない社会では、もはや能力さえも必要とされないということであろうか?
(2016.10.18)
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