日本政界は与野党入り乱れての総裁選と党首選に明け暮れている。
その様相は雨後の竹の子のごとくに、多数の候補者が乱立する、かってない状況を呈している。 その顔ぶれたるや、未来を怖れず、過ちを怖れず、自らを省みずして前にのみ突進する
「臆することなき面々」 の豪華なそろい踏みである。 だがその演説たるや、バーゲンセールの口上に似て、お客の購買意欲をそそる文言で飾られた、短絡的な利益誘導策ばかりである。
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経済成長策しかり、所得倍増策しかり、物価高対策しかり、少子化対策しかり
・・ しかり。 それらの 「実現可能性」 は今後の経済情勢、社会情勢、世界情勢、自然情勢 ・・ 次第であって、それらが変化すれば、それらの政策はたちどころに根底から破綻してしまうであろう。
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しかしながら、彼らがその失敗の責任を負うことはない。
なぜなら、それらの情勢変化はすべて 「想定外」 であったという 「最強の免罪符」 が用意されているからに他ならない。 それらの構図はすでにして国民大衆の多くが
「分かっている」 ことである。 もし彼らが、そのことを 「分かっていて」 やっているとすれば、それは 「傍若無人」 のふるまいであろうし、「分からずして」
やっているとすれば、それは 「悲しき道化師」 のようであり、「裸の王様」 のようである。
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今、国民大衆が望んでいるのは、美辞麗句で飾られた政策の数々ではなく、未来の情勢変化に、すばやく対応できる
「臨機応変の才能」 であり、敵、味方の別なく 「信頼される人格」 である。 そのような能力は付け焼き刃でできるものではなく、その人材の人生そのものによって醸成された
「全人格的な資質」 であって、今ここで、自らをことさらにあげつらっても、どうこうできるものではない。 それもまた、国民大衆の多くがすでにして
「見抜いている」 ことではあるのだが ・・ 畢竟如何。
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