以下の文章は 第1552.回 「蝉しぐれ〜もののあはれをしる」
からの抜粋である。
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この季節になると山里に位置する拙宅の裏山からは
「蝉しぐれ」 が早朝から夕刻まで間断なく響いてくる。 その鳴き声には 「ゆく夏を惜しむ蝉の心情」 が込められそこはかとなく哀感が漂ってくる。
そこには江戸時代の国学者、本居宣長が提唱した 「もののあはれ」 の情趣が顕れている。 「もののあはれ」 に纏わる解釈は難解でおいそれと説明できるものではないが、端的に言えば、外界としての
「もの」 と感情としての 「あわれ」 が一致する所に生じる調和的な情趣の世界をいう。 哲学者の和辻哲郎は本居宣長の説いた 「もののあはれ」
に触れ 「もののあはれをしる」 という無常観的な哀愁の中には 「永遠への根源的な思慕」 あるいは 「絶対者への依属の感情」 が本質的に含まれていると述べている。
物質と意識の相関は物理学のみならず文学の世界においてなお意味深長である。 (2021.08.27)
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夏の終わりに漂う情趣。 ゆく夏の寂寥感を描いたものである。
だが、今年の夏は 「終わらない夏」を演じて、ゆく夏の寂寥感どころの話ではない。 数えてみれば1年の半分が夏である。 もののあはれをしる日本の情趣にも知らずの変遷が近づいているのかもしれない。
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