Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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見事な証明〜もう一度齧ればいい
 禅の大家、鈴木大拙翁が西欧で講話をした折のこと。 とある質問者が、アダムとイブは蛇にそそのかされ禁断の果実であるリンゴを齧ったことで楽園を追われたとする創世神話にふれ、「永遠に楽園を追われた私たちはこの先どうしたらいいのか?」 と問うた。 大拙翁は間髪を入れず 「もう一度齧ればいい」 と答えた。 それを聞いた聴衆は 「オー」 と感嘆の声をあげたという。 それは絶対と相対の狭間に生きた鈴木大拙翁の面目躍如たる風景であった。 相対と絶対は同時に存在する。 それは、一枚の紙の裏と表が同時に存在する構造と同じである。 同様に 「善と悪」 は 「理想と現実」 は同時に存在する。 しかして 「身の迷い」 は 「世の争い」 は片方だけに固執するところから生まれる。 あるがままの自然体は 「相対と絶対を同時に受け入れる」 ところに生まれるのである。
 それにしても鈴木大拙翁の西洋思想の難題に答えた 「もう一度齧ればいい」 は長らく解けなかった数学の難問を一瞬に解いたような気持ち良さを感じる。 数学は何も科学的数式にのみに使われるものでもなく、宗教に哲学に文学にと縦横無尽に使われるものであることを、鈴木大拙翁の講話は教えてくれる。 後世にのこる 「見事な証明」 であったと思う。

2024.09.13


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