現代日本では、多くの若者が人前で褒められたくないとのことである。
かくなる現象は何を語っているのであろうか? 以下は 第1838回 「信じられない時代〜無気力と自信喪失」 からの抜粋である。
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アメリカ、ドイツ、日本において実施された意識調査によると、時の政権を
「信じられない」 という人が日本では 50% 以上とその他の国と比べだんとつの 1位 であるという。 だが今後に 「何に期待するか」
を問うと 90% 以上が 「国と地方自治体」 であるという。 では職場や仲間など 「周りに信じられる人がいるか」 を問われると、大半の人は
「いない」 と答え、自分が 「周りから信じられているか」 を問われると、その大半が 「わからない」 と答えたという。 ちなみに、アメリカ、ドイツでは
90% 以上の人が 「周りに信じられる人がいる」 と答えるとともに、自らが 「周りから信じられている」 と答えたという。
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この結果は何を意味しているのか?
単純に考えれば、日本人は、自らの政権を信じてはいないものの、かといって自らが進んで 「何ごとかをしよう」 とは思わないという 「無気力」
な状態であるとともに、自らさえも信じられないという 「自信喪失」 の状態に陥ってしまっているという現実である。 かっての高度経済成長時代には存在した
「やる気と自信に満ちていた日本人」 はいったいどこへいってしまったのか?
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物質的に貧しかった時代では、精神的に豊かであった日本人が、物質的に豊かになった現代では、精神的に貧しくなってしまったとは、何とも皮肉な巡り合わせである。
そこへ導いたものとは、経済拡大への急激な傾斜であり、日々追われるごとく叫ばれたスローガンとしての 「成長!成長!」 と 「競争!競争!」
のシュプレヒコールであったのではあるまいか? かくして行き着いた世界が 「無気力」 と 「自信喪失」 が常態化した現代社会であったのである。
(2023.12.08)
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つまり、「人前で褒められたくない若者の心とは」、自らが信頼していない人からは褒められたくないとする拒否反応であろう。
かっての子供たちは先生に褒められたい一心で頑張っていた。 その理由は、子供たちが先生を信頼していたからに他ならない。 人前で褒められたくないとする若者の登場は、現代社会の若者の周りに信頼に足る大人がいないことの証でもある。
巷間。 世相は自民党の総裁選挙、立憲民主党の代表選挙で喧噪の坩堝と化している。 だがそれは、当事者だけの空騒ぎのようで、大衆の反応は冷ややかである。
公約云々より、まずは信頼に足る人材の登場が待たれるところである。 だが 「信頼できる人が周りにいない」 という現象は、社会としては致命的であって、漫然と放置すれば、社会そのものが崩壊しかねない。
むしろ最大限の集中心で臨まなくてはならないのは 「こちらの課題」 なのではあるまいか。
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