人は何を求めて生きるのか? そんなことは考える必要はない。
ともかく目先のことを何とかしなければならない。 ではその目先のことが何とかなったら考えるのか。 いやその時は次なる目先のことを考える必要がある。
かくして10年が経ち、20年が経ち、そして50年が経って、あらゆる目先の 「何か」 が尽き果ててようやく 「人は何を求めていたのか」
を考えはじめる。
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以下の話は、過日、なじみのスナックのマスターから聞いたものである。
夜毎、歳の頃 80半ば の老人が深夜、そのスナックをひとり訪れるわけを聞いた私に、マスターは 「ママも困っているのだ」 と前置きして話だした。
老いらくの恋という話はよく聞くが、どうやらそういうことではないらしい。 老人が言うには 「夜眠って翌朝に無事に生きて目覚められるかが不安で眠ることができない」
というのだ。 その不安から逃れるためには、「眠らない街」 で深夜まで開いているスナックを訪れ、「起きている」 より他に道はなかったのである。
何を求めて生きるのかを 「先のばしした人」 の老境を語ってあまりある。
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