Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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この道があの道であること〜立原道造への鎮魂歌
 夭折の詩人、立原道造は友人に宛てた書簡の中で以下のように語っている。
 いつか僕は忘れるだろう。 「思ひ出」 という痛々しいものよりも僕は 「忘却」 といふやさしい慰めを手にとるだろう。 僕にこの道があの道だったこと、この空があの空だったことほど今いやなことはない。 そしてけふ足の触れる土地はみな僕にそれを強ゐた。 忘れる日をばかり待ってゐる。
 特筆すべきは 「この道があの道だったこと、この空があの空だったこと」 という表現方法である。 道造は 「思い出とは、この道があの道であること、この空があの空であること」 と簡潔にして明瞭に表している。 こまごましい説明を軽々と飛び越えて核心を貫く才能は詩人ならではのものであろう。
 道造の嘆きは時空間 A としての 「あの道」 と、時空間 B としての 「この道」 が、同じでないとする嘆きである。 あの道とこの道の空間的位置は同じであっても、あの道にあった 「あの時」 と、この道にある 「この時」 とは同じではない。 道造の嘆きは、時間がもつ 「絶対的非可逆性」 に対する嘆きである。 覆水は決して盆にはもどらないのである。 ゆえに道造が救われるためには 「あの時を忘れる」 より他に方法がなかったのである。
 この世界における量子のふるまいを 「量子論的解釈」 で記述すると以下のようになる。
 従来の量子力学で量子の未来のふるまいを予測しようとすれば、実験が始まる時点における量子の運動量やエネルギといった情報(初期状態)が、実験が終わる時点におけるそれらの情報(終期状態)がどうなったのかを計算するか、少なくともある特定の終期状態に達する確率を計算する必要があった。 そのためには微分方程式を解かなくてはならなかったが、ファインマンが考え出した 「経路積分」 という方法では、この微分方程式を解く必要性がなかった。 その方法とは、量子が初期状態から終期状態までにたどる可能性がある 「すべての経路」 を、あるルールに従って足し合わせるというものであった。 従来のニュートン力学の世界では、量子は、われわれの日常世界での物体がそうであるように 「決まった経路を通る」 とされていた。 しかし、量子世界では、量子は宇宙を踊るように飛び回っているのであって、それ以外の経路についても考慮しなくてはならないのである。 量子が宇宙の彼方まで旅したり、時間的にジグザグにさかのぼったり、進んだりする経路を無視するわけにはいかないのである。 これらの経路をたどると、自然は何の制御も受けず、通常のルートを無視しているように見える。 ファインマンは 「いろいろな出来事を時間の順序で並べるのは的はずれであって、すべての経路を加算すれば実験者が観察する最終的な量子状態に至っている」 と主張した。
 以上の量子論的解釈の記述を道造の嘆きに 「等価的に置換する」 と以下のように変換される。
 道造をひとつの量子であるとして、未来のふるまいを予測しようとすれば、時空間 A の時点における 「あの道の情報(初期状態)」 が、時空間 B の時点における 「この道の情報(終期状態)」 に達する確率を計算する必要があった。 そのためには微分方程式を解かなくてはならなかったのであるが、ファインマンが考え出した 「経路積分」 の方法では、この微分方程式を解く必要性がなかった。 その方法とは、量子としての道造が初期状態である時空間 A から終期状態である時空間 B に達するまでにたどる可能性がある 「すべての道筋」 を、あるルールに従って足し合わせるというものであった。 従来の 「ニュートン力学の世界」 では、物質的な量子である道造は、日常世界での物体がそうであるように 「決まった道筋を通る」 とされていたが、「量子力学の世界」 では、量子である道造は、宇宙を踊るように飛び回っているのであって、それ以外の道筋についても考慮しなくてはならないのである。 量子である道造が、宇宙の彼方まで旅したり、時間的にジグザグにさかのぼったり、進んだりする道筋を無視するわけにはいかないのである。 これらの道筋をたどると、自然は何の制御も受けず、通常のルートを無視しているように見える。 ファインマンは 「いろいろな出来事を時間の順序で並べるのは的はずれであって、すべての道筋を加算すれば実験者が観察する最終的な道造の状態に至っている」 と主張した ・・ と変換される。
 冒頭で述べた道造の嘆きは、従来のニュートン力学における 「いろいろな出来事が時間の順序で並べられた、ルールに縛られた決定論的な世界観で語られた物語」 であって、事実はファインマンが言うように 「ルールに縛られない自由なプロセスにこそ秩序がある」 のかもしれないのだ。 分かり易く換言すれば、あの道もあの空も、この道もこの空も、その道もその空も、全てを合算することで、道造の思い出は 「ひとつの最終的な思い」 に達するということである。 忘却することなど必要なかったのである。
 また 「出来事を時間の順序で並べるのは的はずれである」 というファインマンの主張は 「過去・現在・未来と連続する線形時間は存在しない」 とする私の主張に一致する。 私の主張の意味するところは、「過去と未来は現在に含まれていて」 その中から 「ある過去」 が 「ある未来」 が今の今である現在としての現実空間に象出するというものであって、可能なすべての過去と未来を加算すれば我々が眺める現在に至るというものである。 従って、過去・現在・未来で構成された 「線形時間は的はずれ」 であって、それに縛られない 「自由なプロセス」 にこそ 「秩序である」 ということになる。 しかして、全ての思い出、言うなれば 「全ての過去と未来」 を加算すれば、我々が眺める 「ひとつの最終的な現在」 に至ることになる。
 もし道造が現世に生きて今あったならば 「これらの帰結」 を聴いてほしかったと思う。 道造の嘆きは、それによって幾分かは救われたのかもしれない。 だがそれはもや 「儚い願望」 となってしまった。 せめてもの 「鎮魂歌」 となってくれれば幸いである。
 
(※)以下、蛇足ながら
 道造ならずも、私も20数年に渡って信州の津々浦々のあの道この道、あの空この空を巡ってきた。 その足跡は 「信州つれづれ紀行」 として編集されている。 そしてその意味を、私自身をひとつの量子のふるまいに見立て 「実験的経路積分紀行」 として論考している。 あわせてご覧いただければもって幸いである。

2024.06.18


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