知ることと考えることは、似て非なるものである。
知ることとは、本を読んで、ネットで検索して、さまざまな 「知識を収集する」 ことである。 他方、考えることとは、その収集された知識を使って、新たな
「認識を創造する」 ことである。 だが情報化時代となって知識を収集する 「知る機会」 は膨大に増加したものの、収集された知識から新たな認識を創造する
「考える機会」 は急激に減少してしまった。 その中で 「私は考えている」 といったところで、それは収集された知識の 「引用」 であり、よくて
「編集」 でしかない。 とても新たな認識の 「創造」 とはいえない。 このようなことを 「考える」 というのであれば、まさに今、台頭しつつある
「人工知能(チャットGPT)」 で充分である。 このままでは 「考える」 という人間にとっての根源的機能は喪失してしまうであろう。
曰く、「人間失格」 である。
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この世の情報化は今後もとめどなく膨大化して、人間の頭脳をもってしては
「収納不能」 に陥ってしまうことは目に見えている。 その中から新たな認識を創造することなど、人間として可能なのか? 考えない人間は、この世から
「お払い箱」 になってしまうというのであれば、「人間を必要とする世界」 への 「移住」 を考える以外に他に道はない。
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