Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
Turn

魂の死するを恐れる〜魂の絶唱に思う
 三島由紀夫は死の1週間前(昭和45年11月18日)に遺言のような声明をのこしている。 以下はその声明からの抜粋である。
 資本主義的な制度の責任によってもたらされた 「道徳意識の麻痺」 に対抗しえる手立てを見出すことのできない我々の戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張するが、魂や精神の生死を問わないのである。 社会は肉体の安全を保障しようとするが、魂の安全を保障しはしない。 心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかりを恐れている人達で日本中がうめられている。 しかし、そこに肉体の死するを恐れず 「魂の死するを恐れる」 という人達がいることを忘れないでください。 そして、そのような人がいるからこそ 「道徳的緊張」 とでもいうべき格調の高い清き泉のような精神史的潮流が育まれて行くのです。
 もし三島が生きていたら、今の日本の現状を見て何と言うのであろうか? 昭和は遠くなりにけりの嘆息ひとしおである。
 以下の記載は、肉体の死するを恐れず、魂の死するを恐れた人達がのこした辞世の句である。 心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかりを恐れている人達で、日本中がうめつくされている現代世相を鑑みながら、心してその魂の絶唱に耳を傾けたい。
 以下の2つの句は、三島由紀夫がのこした辞世の句である。
益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐
 上段の句は、巷間衆知の句で、これから壮挙に赴く三島の留めどない荒ぶる魂の熱情を描いている。 下段の句は、去りゆく三島の淋しげな後ろ姿を鎮魂とともに描いている。
 以下の漢詩は、秦始皇帝暗殺の刺客であった荊軻が、その任に赴くに際し、易水の畔で催された送別の宴で詠じたものである。
風蕭蕭として 易水寒し 壮士ひとたび去って また還らず
 風は寂しげな音をたてて吹き、易水の水は冷たげである。 壮士(勇者即ち荊軻)は、ここで別れを為して、一度去れば、二度と帰ることはないであろう。
 以下の句は、明智光秀の三女で細川忠興の正室であった細川ガラシャの辞世の句である。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
 花も人も散りどきを心得てこそ美しいという意。 先日、失言問題で退任した静岡県の川勝平太知事が辞職会見の中で、自らの心境を語るに 「この句」 を引用して、世間のひんしゅくを買ったことは記憶に新しい。

2024.04.16


copyright © Squarenet