資本主義的な制度の責任によってもたらされた 「道徳意識の麻痺」 に対抗しえる手立てを見出すことのできない我々の戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張するが、魂や精神の生死を問わないのである。
社会は肉体の安全を保障しようとするが、魂の安全を保障しはしない。 心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかりを恐れている人達で日本中がうめられている。
しかし、そこに肉体の死するを恐れず 「魂の死するを恐れる」 という人達がいることを忘れないでください。 そして、そのような人がいるからこそ
「道徳的緊張」 とでもいうべき格調の高い清き泉のような精神史的潮流が育まれて行くのです。
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