またあるとき、右脳派の友人に 「魂には姿かたちがない。 だからこそ人はそれぞれ異なった姿かたちをしているのだ。
でなければその人の魂をそれと判別することができない。 いうなれば、顔かたちや、姿かたちは魂の衣装であり、魂のパフォーマンスなのだ。
ボロは着てても心は錦というたとえもある」 と話すと、彼は 「最近はキンキラの錦を着てても心はボロボロという人しか見ないがね」
と長嘆息を漏らした。 この会話を左脳派が聞いていたら 「彼らは少し脳に障害がでている。 時代はここまでおかしくなってしまったか」
と長嘆息を漏らすに違いない。 (2013.12.25)
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