Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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空海と最澄〜仏とは何か
 弘法大師空海と伝教大師最澄は、ともに平安時代の世に生まれ、日本仏教の礎を築いた高僧である。 密教を信じた空海と顕教を信じた最澄は、互いに好対照をなすとともに好敵手でもあった。
 空海は 「即身の修法」 によって、たちどころに仏(大日如来)になることを目指し、最澄は 「止観の修法」 によって、天台の確立を目指した。 空海の伝教手法は 「行」 による 「面授」 を専一とし、最澄の伝教手法は 「知」 による 「筆授」 を専一とした。 空海の門下からは次代を引き継ぐ高弟が輩出されず、最澄の門下からは鎌倉仏教を牽引した法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮 ・・ 等々の多くの高弟が輩出されたのは、あるいはかくなる 「手法の違い」 にあったのかもしれない。 空海は多分に 「天才」 であり、最澄は多分に 「秀才」 であったということができる。
 以下は 第1305回 「空海と最澄〜刹那と連続」 からの抜粋である。
 真言密教を創始した空海が唱えた求道の精神 「仏として生きる」 とは、刹那宇宙における 「動的存在者(存在の時めき)」 を述べたものであろう。 他方、顕教に殉じた最澄が唱えた求道の精神 「仏に向かって生きる」 とは、連続宇宙における 「静的存在者」 を述べたものであろう。 それはまた 「行の力を信じた空海」 と 「知の力を信じた最澄」 の違いであろう。 ふたりが対峙した 「密と顕の狭間」 とは、あるいは 「刹那と連続の狭間」 であったのかもしれない。

2023.12.18


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