空海は 「即身の修法」 によって、たちどころに仏(大日如来)になることを目指し、最澄は 「止観の修法」
によって、天台の確立を目指した。 空海の伝教手法は 「行」 による 「面授」 を専一とし、最澄の伝教手法は 「知」 による
「筆授」 を専一とした。 空海の門下からは次代を引き継ぐ高弟が輩出されず、最澄の門下からは鎌倉仏教を牽引した法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮
・・ 等々の多くの高弟が輩出されたのは、あるいはかくなる 「手法の違い」 にあったのかもしれない。 空海は多分に 「天才」
であり、最澄は多分に 「秀才」 であったということができる。
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