この宇宙は主観とは別に客観的に存在しているのか?
それともそのような 「客観的な宇宙」 は存在せず 「主観的な宇宙」 をただ客観的な宇宙と錯覚しているのか? この正誤は永遠に判定できない。なぜなら主観的宇宙が自らの死後もなお存続し続けるのかは自らが亡くなってみなければわからないからに他ならない。
同様に客観的な宇宙もまた自らの死後も存続し続けるのかも自らが亡くなってみなければわからない。 自分以外の他者が死んでも客観的な宇宙は存続しているではないかという主張は証明にならない。
そこには 「他我問題」 の壁が横たわっている。 他我問題とは他人の心をいかにして我々は知りうるかという哲学的な難問であり、結論から言えば
「他人の心を直接に知る方法はありえない、なぜなら私は他者ではないからである」 というものである。 つまり、自分以外の他者が生きている世界もまた私の主観的な世界であって、私は他者ではなく、亡くなった他者の主観を直接的に知る方法はないのである。
結局、堂々巡りの末に、「自らが死んでみなければわからない」 という、はなはだ曖昧模糊とした解決策に帰着してしまうのである。
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