彼がたどった、「さからう」→「さからえない」→「さからわない」 という言葉の五段活用のごとき変態を、かって構築した
「スクエア理論」 の中で思考した 「形状論」 を使って述べれば以下のように置換される。
「さからう」 を形状に置換すると △ であり、それはエネルギの発動を表す 「方向をもったベクトル量」 を意味する。 「さからえない」
を形状に置換すると □ であり、それはエネルギの展開を表す 「運用としての仕事量」 を意味する。 「さからわない」 を形状に置換すると
○ であり、それはエネルギの保存を表す 「大きさだけのスカラー量」 を意味する。 つまり、形状論では 「さからう」→「さからえない」→「さからわない」
の変態過程は、「△」→「□」→「○」 というエネルギ循環の変態過程を現しているのである。 そして、「体たらく」 のことどもに出逢っても憤慨することもなくなったとする彼の諦観の近況状態は、エネルギが安定的に保存された
「大きさだけのスカラー量」 に変態し、形状としての 「○」 の球面精度が 「真球」 の域に達したことを示しているのである。
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