Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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曼荼羅の世界に遊ぶ〜宇宙の心とは
 「Let it be」 はビートルズ往年のヒット曲で、意味は 「あるがままに」 である。 伝説的なアクションスターであり、武道家であり、哲学者でもあったブルース・リーは 「自然に任せていれば、ここぞという時にひらめく」、「形を捨てた時、人は全ての形を手に入れる」、「スタイルを何も持たない時、人はあらゆるスタイルを持つ」、「考えるな、感じろ」 ・・ 等々の言葉を遺した。
 真言宗の開祖、弘法大師空海は 「即身」 をもって仏として生き、曹洞宗の開祖、道元禅師は 「身心脱落」 をもって仏として生きた。 道元禅師は 「悟りを得るために修行するのではなく、悟りの中にいるからこそ修行できるのだ」 とし、「只管打坐」 をもって 「行住坐臥(歩き・止まり・坐り・臥す)の日常生活そのものが坐禅であるとした。 ただひたすらに坐り抜き、眠り抜き、歩き抜いたのである。
 彼らの生き方は、それぞれ異なってはいたが、底流を流れるその思いは同じである。 それは吉田拓郎が 「今日までそして明日から」 で描いた思いとも同じである。 何たる不覚。 遥かな時空の旅で私が探し求めてきた 「宇宙の心」 は、彼らが体験した 「日常の何気ない生活の中」 にすでにして潜在していたのである。
 宇宙の心とは、生きとし生けるものすべての胸中にもとから存在していたものである。 それぞれの思いが異なって見えたのは 「互いの視点の違い」 であって、その本質は何らも変わらないのである。 結局。 宇宙とは、それぞれの 「思いの多様性」 に彩られた 「曼荼羅の世界」 であって、その曼陀羅世界のどこに生き、どこに遊ぶかは1人1人の個々人に与えられた自由な人生の賜なのである。
かって私はその曼荼羅世界を以下の自然の中に垣間見たことがある。
信州つれづれ紀行 第552回 / 霧ヶ峰高原 / 長野県諏訪市

2023.09.05


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