未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
時代の胎動は今
片隅としての小さな世界も、全体としての大きな世界も、その構造において違いがないのであれば、その分岐点でどちらの世界を選択しても、その後の人生に大差はないではないかと指摘されるのは当然至極である。
かっての高度成長時代は圧倒的に全体としての大きな世界が選択された。 それは地方の若者が集団就職列車で 「花の東京に向かった」 頃のことである。 その流れはさらに地球の全域へと広げられて現在に至っている。 そして遂に、大きな全体の世界は行き場を失って飽和してしまった。 今やその世界はあちこちでほころびが表面化し生きにくいものになりつつある。 それどころか危険なものにさえなりつつある。
勿論、片隅の小さな世界にも問題がないわけではないが、規模が小さいだけに、その対処は幾分かはましであろうし、なにより自己実現の可能性が多分にのこされている。 時代の胎動は今、大きな世界から小さな世界に向かって移行を試みているように観えるのだが、どうであろう。
2023.08.17
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