だがここには 「大きな欠落」 がある。 仏教では 「因果応報」 のごとく因果律を重要視するが、それと同等以上に
「縁(えにし)」 の働きを重要視する。 誰しも、人の一生が 「努力という原因」 を抜きにして 「成功という結果」 を得ることができないことを深く信じている。
だがこの帰結は絶対ではない。 いくら努力しても成功できないことは 「ざら」 にある。 あるいは、その方が多いのかもしれない。
努力は活躍するための 「場」 を得なければ、成功には行き着かないのである。 この 「場 」こそが 「縁」 の本質である。 蒔かれた種も、生育に必要な土壌に恵まれなければ、芽は出ないのである。
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