Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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縁の発見
 理の変換器の基を成す科学的合理主義は原因と結果から構成される 「因果律」 から導かれたものである。 理の変換器から生まれた機能性を主体とした弥生文明が 「種を蒔けば芽が出る」 という原因と結果で構成された因果律を観察するところから始められたことは紛れもない。 その弥生文明を発展させた現代社会が、原因と結果で構成される因果律に絶大な信頼をよせるのは当然至極のことである。
 だがここには 「大きな欠落」 がある。 仏教では 「因果応報」 のごとく因果律を重要視するが、それと同等以上に 「縁(えにし)」 の働きを重要視する。 誰しも、人の一生が 「努力という原因」 を抜きにして 「成功という結果」 を得ることができないことを深く信じている。 だがこの帰結は絶対ではない。 いくら努力しても成功できないことは 「ざら」 にある。 あるいは、その方が多いのかもしれない。 努力は活躍するための 「場」 を得なければ、成功には行き着かないのである。 この 「場 」こそが 「縁」 の本質である。 蒔かれた種も、生育に必要な土壌に恵まれなければ、芽は出ないのである。
 人工知能社会への移行では、因果律的な 「理」 から超因果律的な 「情」 への転換が求められる。 だがそのためには、転換の背景を成す 「場」 としての 「縁」 が発見されなければならない。 場が物質的であるのに対して、縁は空間的である。 依って、縁の発見とは、また 「空間の発見」 でもある。

2023.03.03


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