一編の長編小説 「人生劇場」 を書いた尾崎士郎(1898〜1964年)の言葉である。 愛知県生まれ。
早稲田大学中退。 大正15年宇野千代と結婚するが、昭和5年離婚。 都新聞に連載した 「人生劇場」 が川端康成に認められ、ベストセラーになり、その後、「青春篇」、「愛欲篇」と七篇が書きつがれた。
「人生劇場」 は尾崎士郎の自伝的大河小説。 多くの読者にとって 「人生劇場」 は尾崎士郎であり、「尾崎士郎」 は人生劇場であって、それ以外の作品は思い浮かばないのではなかろうか。
運命共同体とも言うべき強烈な印象を持ったこの作品に、川端康成は 「痛ましい夢」 を認識したという。 昭和39年2月19日雪の朝、結腸がんによって世を去った尾崎士郎の脳裏に去来した
「青春の夢」 はいかばかりであったであろうか? 友人の小説家、武者小路実篤は尾崎を 「多くの人を愛し 多くの人に愛され ずばり真情を吐露する男」
と讃えた。 冒頭の言葉は尾崎がいかに熱い情熱の男であったかを彷彿とさせる。 その思いは墓石の飛び石の先に佇む文学碑に刻まれている。
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