Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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理想社会の解は存在しないのか?
 有史以来、人類が構築してきた社会の類型はさまざま存在する。 だがそのどれもに矛盾が内包されていて人類を過不足なく統治することに成功したためしはない。 かくも長きに渡る試行錯誤において尚、そのような理想的な社会が見つからないところをみるとこの問いには 「解は存在しない」 のかもしれない。 ちなみに数学における 「解なし」 とは 「実数解」 がないことであって、虚数を含めて考えると解が存在し得る場合をいうとある。 以下は 第1611回 「実と虚の狭間〜実数と虚数」 からの抜粋である。
 実数が現実の世界に存在する数字であることに対し、虚数 (imaginary number) は想像の世界に存在する数字であって、頭の中でだけで考えられる数字である。 なぜにこのような数字を考えたのかは 「数学的な思考展開において便利だから」 ということに他ならない。 この数字(虚数)を使うことで最先端科学である量子力学等における難問が解決され、新たな解釈が拓かれたことがそれを証している。 虚とは、「むなしいこと」、「内容のないこと」、「空虚」、「うつろ」、「から」 ・・ 等々を意味するどちらかといえば否定的な言葉であるが、あるいは計り知れない力を秘めている存在なのかもしれない。 古来、この世は 「実の世界」 ばかりが重視されてきたが、これからは 「虚の世界」 が重視される時代になるのかもしれない。 フェイスブックの創業者ザッカーバーグが目指す 「メタバース(超越空間構想)」 などはその未来社会の様相をリアリティをもって描いている。 現実空間が実数であるとすれば仮想空間である 「メタバース」 は虚数にあたいする。 なぜにこのような 「虚空間」 を考えたのかは 「経済学的な社会展開において便利だから」 ということになるのであろうが、実空間における実数的価値が虚空間における虚数的価値に変換されるとするならば、その価値とは 「いかなるものか」 気になるところである。
 社会システムにおける 「実数としての社会」 と 「虚数としての社会」 とは何を意味するのであろうか? かくいうのも、実数としての社会には解はなくとも虚数としての社会には解があるかもしれないからである。 上記した 「実と虚の狭間〜実数と虚数」 で論じたごとく、実空間における 「実数的価値」 が虚空間における 「虚数的価値」 に変換されるとして、問題はその価値がどのようなものなのかである。 「Pairpole 宇宙」 における内蔵秩序である 「対称性」 から考えれば、「虚世界の価値」 とは、実世界の価値と 「鏡像のように反転されたもの」 であろうことは予測される。 さてその虚世界の価値に支えられた 「理想社会の実像」 とは如何なるものなのであろうか?

2022.10.31


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